(191)うっかりといそぎんちゃくに受肉する/赤野 四羽(1977年~)
受肉とはキリスト教のドグマで、神がイエスという個体として現実化したことを言う。「同じ種からそれぞれ異なる個体が生じる原理は何か」という形而上学上の問題とも関わる概念だ。磯巾着(いそぎんちゃく)は春の…
関連リンク
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- ・(188)吸うて吐く猫の寝息や春はじめ/神保 と志ゆき(1976年~)
- ・(187)立春の米こぼれをり葛西(かさい)橋/石田 波郷(1913~1969年)
- ・(186)冬空やとことん話し合つたのに/甲斐 のぞみ(1973年~)
「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。