「支援する側へ」思いかなう 原発事故避難の中2生がボランティア

 宮城県柴田町の船岡中2年最上夏純さん(14)が26日、16日夜の地震で震度6弱を観測し、住宅などが被害を受けた同県山元町を訪れ、初めて災害ボランティア活動に加わった。最上さんは福島県相馬市に住んでいた2011年、東京電力福島第1原発事故で避難生活を余儀なくされた。当時、古里を支えてくれたボランティアへの感謝を忘れず、「いつかは支援する側に回りたい」との思いがかなった。

本を片付ける最上さん(奥)と岩井さん=山元町

 最上さんは幼稚園児だった11年前、ボランティアのお兄さんやお姉さんに遊んでもらったことを、今でも覚えている。「一緒に積み木や塗り絵をして、すごく楽しかった」

 最上さんの母親(46)によると、東日本大震災で相馬市の自宅の被害はほぼなかったが、原発事故が起きて福島市などに1カ月間、避難した。相馬市に戻った後も屋外の遊びが制限されたため、屋内でボランティアと遊ぶ催しに参加した。

 小学校2年の時、柴田町に引っ越した。震災の揺れや津波、避難生活の詳細な記憶はなくなった。相馬の復興状況のほか、ボランティアから受けた多くの支援について、母親から何度も教えられ、感謝の思いは消えることがなかった。

 今月16日夜、宮城、福島両県で最大震度6強を観測した地震が起きた。「何かできることはないか。ボランティアをしたい」。状況を伝えるニュースを見て、母親に相談した。調べてみると、山元町ならば中学生でも災害ボランティアに参加できると分かり、町社会福祉協議会に申し込んだ。

 仲良しの同級生岩井琴さん(14)も誘った。2人は26日、ジャージー姿にヘルメット、軍手、雨具を持参して山元町に駆け付けた。

 担当したのは、被災した住宅の片付け。倒れた本棚から飛び出した多くの本をまとめ、ひもで縛った。棚や本の間にはガラスの破片もあり、慎重に作業した。中学生ボランティアに感激した住民からは、ホットケーキを振る舞われた。

 最上さんは「本を縛る作業は大変だったけど、喜ばれてうれしい。これからも困っている人たちの力になりたい」と目を輝かせた。

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