政宗騎馬像、初代は金属供出で撤去 生涯と同様、刻まれた数奇なドラマ

仙台・宮城のアイコンともいえる仙台城跡の「伊達政宗公騎馬像」(佐々木さん提供)

 仙台城跡(仙台市青葉区)に立つ「伊達政宗公騎馬像」は、全国に知られる杜の都のシンボル。戦国の世を駆け抜け、62万石の仙台藩の礎を築いた藩祖の生涯と同様、騎馬像にも数奇なドラマが刻まれている。新年度、宮城暮らしのビギナーもベテランも、一緒に知られざる歴史をひもといてみませんか。
(生活文化部・阿曽恵)

昭和初期の青年団が発意

 騎馬像は重さ4・5トン、高さ4・2メートル。台座と合わせた全高は9メートルにも及ぶ。残念ながら最大震度6強を観測した3月16日夜の地震で、台座に接地する馬の2本の足元が破断し、西側に約10度傾いた。現在は白いシートですっぽり覆われ、市が修復方法を検討している。

 この像は、1964年の東京五輪の開会式前日に除幕式が行われた「2代目」だ。市観光協会の社団法人化を記念する事業だった。初代は35年に登場したが、わずか9年後、太平洋戦争下の金属供出で「藩祖公出陣」のスローガンとともに撤去されてしまう。幸いにも騎馬像の石こう原型がそっくり残っていたため、再び同じ形に鋳造できた。

 その初代騎馬像は溶解を免れ、戦後に塩釜市の金属回収所にバラバラに打ち捨てられていたのを郷土史家が一部買い取った。今は仙台城三の丸跡地にある市博物館の南庭に、胸像として展示されている。

騎馬像は東京で鋳造され、大型トラクターに引かれて宮城県入りした。仙台到着目前の沿道の熱狂ぶりを伝える河北新報(1935年5月17日付)

 初代騎馬像が誕生した35年は、政宗の没後三百年祭が宮城県を挙げて大々的に開かれていた。政財官による協賛会が発足したのが33年。それに先駆け、政宗の銅像建立を発意したのは宮城県連合青年団だ。

 騎馬像を詳しく調べている仙台市の郷土史研究家、佐々木伸さん(67)は「自分たちが勤労奉仕した謝礼や、集めた寄付金で経費を全て賄いました。補助金は一切入っていない、自主的な活動です」と話す。

 青年団の強い動機はなぜ生まれたのか。謎解きの前に、いったん騎馬像の台座に注目してみよう。岡山県産の万成石(まんなりいし)でできた台座の正面に「伊達政宗卿(きょう)」の銘板がある。揮毫(きごう)したのは元首相、内大臣の斎藤実(まこと)。仙台藩領だった奥州市水沢出身で、協賛会の総裁に就いていた。除幕式に参列した9カ月後、二・二六事件の凶弾を浴びて命を落とす。

 見慣れない「卿」の字はかつての大納言と中納言、参議と三位以上の人を指し、生前の位階・官職が従三位権中納言だった政宗にも当てはまる。戦国武将は「加藤清正公」のように親しみやすい「公」の敬称が付けられるケースが多いが、あえて威厳と格式の高さを強調しているようだ。

台座の正面に据えられた銘板。元首相・内大臣の斎藤実が揮毫した(佐々木さん提供)

「賊軍」人々の誇り回復か

 卿の敬称と騎馬像の意匠には、この時代ならではの事情が絡む。戊辰戦争で仙台藩は新政府軍によって賊軍の汚名を着せられた。明治憲法発布に伴う大赦令でようやく復権できたとはいえ、奥羽越列藩同盟の盟主だった旧藩への差別と冷遇は簡単には解消しない。伯爵に叙せられた伊達家の地位や、政宗を祭る青葉神社の社格が不当に低いという不満もくすぶっていた。

 没後三百年祭は政宗を郷土の偉人として内外に訴えるための機会でもあった。騎馬像に関する資料を数多く所蔵する宮城県柴田町の「しばたの郷土館」学芸員、岡山卓矢さん(36)は「政宗は勤王、外交、平和に尽くし、宮城の人々もその伝統を継いでいる。そう熱心にアピールした時代背景を踏まえる必要があります」と指摘する。

 佐々木さんは「賊軍として虐げられた人々の誇りを回復し、本丸が失われて『何もない』と言われる仙台城跡の魅力を高めようと考えたのではないでしょうか」と推し量る。

 改めて政宗の騎馬像を思い浮かべると、三日月の前立ての甲冑(かっちゅう)姿とはいえ、戦時の荒々しさはなく、むしろ穏やかな表情で城下の発展を見守っているよう。仙台郷土研究会の会員も加えて、入念に練られた平和の願いを体現するシルエット。騎馬像が仙台きっての観光スポットなのは変わらないが、背負ってきた歴史を見つめ直すと、また新たな感慨が湧いてくる。

3月16日夜の地震の揺れで馬の足元が破断し、西側に傾いてしまった=3月17日午前8時ごろ
地震の後、騎馬像は白いシートで覆われ、周辺が立ち入り禁止に=3月25日午後3時40分ごろ

制作過程と時代背景解説 「しばたの郷土館」で企画展

 伊達政宗の騎馬像を制作したのは宮城県柴田町出身の小室達(とおる)(1899~1953年)。東京美術学校(現東京芸術大)を首席で卒業し、帝展で特選に入った気鋭の彫刻家だ。帝展出品作や23年分もの日記など多くの遺品が町に寄贈されている。戦後の騎馬像復元が実現したのは、石こう原型をはじめとする資料を、町が大切に保管してきたからだ。

 「しばたの郷土館」で開催中の企画展「ようこそ!政宗卿-騎馬像、三百年目の御国入り」は、小室の代表作である騎馬像の制作過程と時代背景を写真や日記などの資料で明らかにしている。胸像の石こう原型も間近で見られる。

 5月31日まで。入場無料。連絡先は同館0224(55)0707。

騎馬像の台座正面。計4枚のレリーフも小室達が制作した。「元服」「権中納言」など政宗一代の重要な四つのシーンを表現している(佐々木さん提供)
政宗騎馬像の石こう原型の胸像=「しばたの郷土館」の常設展示室

騎馬像の建立秘話を魅力的に

 郷土史研究家の佐々木伸さん(67)は「伊達政宗公騎馬像」が、いつ、誰によって、どのように建立されたのか、歴史を掘り起こす「政宗公銅像―杜の都には騎馬像が似合う」を刊行した。

 「初代」騎馬像を発意・建立した県連合青年団は、それに先立つ1919年、全国の青年団と同様に、東京の明治神宮造営の勤労奉仕に参加している。10日間泊まり込みの日程の中には、国会議事堂の見学や夜間の修養講話も組まれ、地方の若者にとって交流と学びの機会ともなっていた。佐々木さんはこの体験も騎馬像の建立事業に結び付いたと考える。

 台座の銘板「伊達政宗卿」を揮毫した斎藤実・元首相のほか、関東大震災時の内相兼帝都復興院総裁を務めた後藤新平ら奥州市水沢出身の政治家と、宮城とのつながりもたどり直した。

 水沢生まれの佐々木さんは「就職で初めて仙台に来た四十数年前、騎馬像について自信を持って説明できる人が周囲にはいなかった。地域の埋もれた資源に光を当て、魅力的な物語にしてまちづくりにも生かせたら」と願う。

 2017年から自費出版してきた「奥州・仙台の謎解きシリーズ」の5巻目となる。A5判、オールカラー、120ページ。990円。仙台市内の主要書店で販売中。佐々木さん090(6226)5617。

佐々木さんの新刊「政宗公銅像」
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