国の不作為不問、司法の限界露呈〈解説〉 原発避難者訴訟で最高裁初判断

最高裁

 東京電力福島第1原発事故を巡る国の責任を免じた17日の最高裁判決は、予測できた津波よりも東日本大震災の津波の方が巨大だったことを重く捉え、当時の技術や知見では「事故は防げなかった」と結論付けた。津波の危険を看過した国の不作為は「不問」とされた。

 下級審では、政府機関が2002年に公表した地震予測「長期評価」の信頼性が最大の焦点だった。

 東電は、東日本沖の海溝沿いで巨大地震が「どこでも起こる」とした長期評価の考慮に消極的だった。国の責任を認めた高裁判決は、いずれも東電の言い分を漫然と受け入れた国の怠慢を厳しく指摘していた。

 対して最高裁は国の過失に関わる判断を体よくかわし、事故の回避可能性の検討にこだわった。

 津波対策を講じていれば事故を防げたと断じようにも、その因果関係にはどうしても仮定の話が伴う。確かに現実の津波は長期評価に基づく予測をはるかに超えていた。最高裁は動かし難い客観的な事実によって立って結論を導いたと言える。

 司法が福島事故とどう向き合うのかが問われた最高裁判決でもあった。

 事故前にあった原発の是非を巡る各地の裁判で、多くの判決は「行政の裁量」に配慮して踏み込んだ判断を控え、国と事業者の主張を追認し続けた。裁判所が原発の安全神話にお墨付きを与えた側面は否めない。

 事故後の避難者訴訟も、今後は基本的に国の責任を認めない判断が踏襲されるとみられる。上告審判決に反対意見を付した裁判官は「原発の安全性は『神話』であった」と言及した上で国の過失と賠償責任を認めたが、こうした「自省」は多数意見にかき消された。司法審査の限界を露呈させ、禍根を残す幕切れとなった。
(福島総局・横山勲)

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