<津波訴訟 遺族の思い>(上) 賠償請求 憎悪の引き金に

母親が描いた水彩画を見詰める山田さん=4月26日、塩釜市

 東日本大震災で大切な人を失った遺族の痛みは、何年たっても癒えることはない。なぜ死ななければならなかったのか。なぜ防げなかったのか。震災後、仙台、盛岡地裁に提起された主要な津波訴訟は計15件に上る。裁判に真相を求めた遺族の複雑な思いに耳を傾けた。
(報道部・柴崎吉敬、関根梢)

 「勝ったら賠償金はどうするのか」
 塩釜市の山田なつゑさん(70)は2013年10月、仙台地裁での初弁論後の記者会見で、意外な質問を投げ掛けられて絶句した。「金でしか見られていないのか」。思いが伝わらないことに、がくぜんとした。
 震災で東松島市の旧野蒜小体育館に避難した母親=当時(86)=を亡くした。体育館に逃げた理由や学校側の誘導の経緯-。真相を知りたいとの思いに駆られて13年7月、市に損害賠償を求める訴えを起こしていた。
 請求額約1400万円は生きていたら得られた年金、仏壇仏具の購入費と慰謝料を基にした。「命に値段は付けられないが、訴訟を起こすために仕方なかった。本当の気持ちは金じゃない」
 しかし、記者の質問がきっかけで「金の問題」に心が振り回されるようになった。自分だけが賠償をもらうべきなのか。何度も自問し、苦悶(くもん)した。知り合いの顔が浮かび、後ろ指をさされるような嫌な想像が巡った。
 「いっそ負けた方がいい」。破れかぶれになったこともあった。勝っても賠償金を市に寄付しようと心に決めた。
 16年3月の地裁判決、17年4月の仙台高裁判決で山田さんは請求を退けられた。18年5月、最高裁で敗訴が確定した。
 母の死の責任を問えなかった大きな失望と、金のことで疑念を持たれる不安から解放された少しの安堵(あんど)が交錯した。「負け裁判でも最後まで諦めないでやれたことは良かった」
 民事訴訟は、身内を亡くした遺族が関係者への尋問などを通して真相に近づく有力な手段の一つだ。場合によっては公的記録の公開を迫り、民事上の責任を追及することができる。だが賠償額が大きくなるほど社会の注目が集まり、偏見や憎悪の対象となってしまうことがある。
 児童74人と教職員10人が犠牲となった石巻市大川小の津波事故訴訟でも同様のことが起きた。
 「包丁で刺し殺す」。原告の遺族に昨年1月、高知県内に住んでいた元臨時講師の男(脅迫罪で有罪)から脅迫文が届いた。学校側の事前防災の不備を認め、市と宮城県に計約14億円の損害賠償を命じた仙台高裁判決の確定から3カ月後だった。男は遺族側に一方的に敵意を募らせていたとみられる。
 遺族が賠償金を得ても喪失感が埋まることはない。それなのに遺族はねたみの対象となり、犯罪に巻き込まれるリスクさえ抱える。原告の代理人を務めた吉岡和弘弁護士(仙台弁護士会)は訴える。
 「本当は子どもを返せ、命を返せと訴えたい。それでも裁判では金を払えと主張するしかない。原告への偏見は、日本の法意識の未熟さの表れだ」

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