釜石の地名由来は「釜のごとき石」? 甲子川沿いに巨岩 アイヌ語説も有力だけど…

釜のようだと形容された、手前から奥にかけて続く大きな岩を指さす手塚さん=釜石市甲子町

 岩手県釜石市を流れる甲子(かっし)川沿いに、「釜石」という地名の由来となったとされる大きな岩がたたずんでいる。古い絵図に描かれ、地元住民は「地域資源として生かして」と期待するが、案内表示は一切なく、うずもれている印象だ。由来を巡ってはアイヌ語説も有力。市は「貴重なのは間違いない」として、いわれなどを説明する看板設置に乗り出す。

市、看板設け重要性紹介へ

 大きな岩があるのは同市甲子町の洞泉地区。洞泉橋の上流側にやや黒ずんだ巨岩の一部が露出している。

 近くで農家レストランを営む藤井サヱ子さん(77)は「川っぷちの大きな岩が地名の由来という話は祖父母から繰り返し聞いた」と振り返る。

 岩手県遠野市との間にある仙人峠は昔から交通の難所だった。峠越えをした人たちが一息ついたのが麓の川沿いの大きな岩だった。辺りは釜ケ淵と呼ばれ、釜のような形をした巨岩は「釜ケ淵の釜石」と言われるようになったという。

 江戸末期から明治初期の甲子村(当時)の絵図には「釜石」と記された岩が描かれている。大正期の甲子村の「史蹟(しせき)名勝天然記念物台帳」には、言い伝えとしつつも「あたかも釜のごとき石」があり、ここから「村の地名とした」との記述がある。

 川沿いの岩はその後、大雨の影響などで周辺に石や砂がたまり見えにくくなったが、2016年8月の台風10号豪雨に見舞われた後、再び姿を現した。

 藤井さんは「小さい時は男の子たちがこの岩から川に飛び込んで遊んでいた。当時と変わらない姿に戻った」と証言する。

 テレビ番組で取り上げられ見物客も訪れたが、看板や標識がないために場所が分からず、そのまま帰った人もいたという。藤井さんは「地域資源として生かすためにも案内表示が必要。今のままではもったいない」と訴える。

 釜石の由来は従来、アイヌ語とされてきた。「魚を干す場所があるところ」を意味する「クマ・ウシ」や、窮地に陥った源義経が岩を飛び越えて逃げたという伝説から「飛び越える・岩石」の「カマ・シュマ」などがある。定説にはなっていない。

 市文化振興課文化財係の手塚新太さん(49)は「どの説にしても学術的な決め手に欠き、釜石の由来は断定できていない」ともどかしそうに話す。

 一方で「釜石の由来と伝わる大きな岩に貴重な価値があるのも確かだ」と指摘。看板を設置してその重要性を伝える方針だ。

 今後は地中部分を含めた岩の大きさの調査や鉱物分析を進め、文化財への指定の可能性も探る。

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