(388)わたくしを捜す放送秋の暮/栗林浩(1938年~)
この句の「捜す」からは、認知症で家を出て徘徊(はいかい)し、行方が分からなくなった老人を、町内放送などで捜索しているように読める。当事者家族にとっては深刻な話でドキッとさせられる。しかし同時に、作者自身が「徘徊(俳諧)老人」となったような自虐的なユーモアも垣間見え可笑(おか)しさが漂う。「秋の暮」…
関連リンク
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