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ベガルタJ2戦記(9)一番長い秋(上)-ベルデニック・ゼミ

 ベガルタ仙台は今季、J2から再出発した。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」

新潟―仙台 後半32分、相手に2点目を許しがっくりする仙台の選手(坂本秀明撮影)

 先週土曜(8日)の新潟戦は完敗だった。首位相手になすすべなく0―3。岡山、東京V、そして新潟と3連敗。順位はプレーオフ圏外の7位まで下がった。

 ここ3戦の相手はシーズン前半の対戦時より着実に成長していた。かつて仙台を率いていた岡山の木山監督も「やってきたことが日々進歩している。どこが相手でも効くようになってきた」と手応えを口にしている。

 その岡山戦で真瀬拓海はこう言っていた。「(シーズン)前半戦にいい流れでなんか勝っていて、自分たちのサッカーを確立できなかった」。このままシーズンが終わるとすれば、これが1年を象徴する言葉になってしまう。成長力の差が如実に表れている。

突然始まった「講義」

 ベガルタは9月6日、原崎政人監督を解任した。8月13日の大宮戦から5連敗での決断だった。3連敗で首筋が寒くなるサッカー界の道理から考えれば、やむを得ない。

 2004年は秋風が吹くのがもっと早かった。ベルデニック監督の首をすげ替えようという動きが見えてきたのは夏を過ぎた頃。そこからシーズン終了までの3カ月余は、記者人生の中でも忘れられない濃密な時間だ。

 10月初めの福岡戦に向けた練習後のこと。昇格の可能性はほぼなくなっており、週の前半は取材に来るメディアの数も少なかった。ピッチを見詰めていたのは自分と同僚、スポーツ紙記者、熱心にチームを追っていたFMラジオのリポーターの数人。囲み取材は予定されていなかったが、ベルデニック監督はクラブハウスにわれわれを呼び寄せた。

 椅子に座った監督を中心に車座ができる。母国スロベニアで大学教授だったころをほうふつとさせるような語り口で、ベルデニック・ゼミの講義が始まった。

会見に臨むベルデニック監督=04年11月

本音と建前

 「降格して新しいチームを一からつくるのは時間が必要だった。この1年でチームの土台はつくることができた」「若手も伸びたし選手は確実に成長している。来季に向け、欧州人のFWと日本代表級の選手を数人採ってもらうよう頼んでいる」。開幕前は取材を拒否する時期もあったことを考えれば信じられない対応だが、既に田中孝司GMらフロントとの確執は決定的になっていた。今考えればメディアを味方に付けたいという意図があったのかもしれない。

 話は日本の文化論にも及ぶ。「ヨーロッパでは選手に批判的なことを言うこともあるが、日本でそれをやるとやる気をそいでしまう」。日本人の「本音」と「建前」が不思議だという。話し合うことたっぷり3時間。通訳の和田コーチもよく根気強く訳し続けてくれたものだ。「来季はスタートから結果を出し続けなければならない」。強い続投意欲を示した頃にはすっかり日が暮れていた。

和田コーチ(右)を通じて指示を出すベルデニック監督=04年11月

試合後の会見は紛糾

 その週の福岡戦は久しぶりの宮城スタジアム開催だった。ベガルタはPKで先制点を献上。村上和広のゴールで追い付いたものの、すぐに勝ち越しを許す。そのまま逃げ切られて3連敗。昇格はさらに遠のいた。

 スタジアムの高い屋根にサポーターの怒号が響く。試合後の監督会見も大荒れだった。3日前にあったクラブの取締役会で、名川良隆社長が監督の進退について「今後の成績を振り返った上で見直す」と言及。これが「解任危機」と一部で伝えられたことが着火点だった。

 「私自身のこれまでの努力が十分評価されていない」「契約期間が3年間と長期で、チームを育てられる可能性があったから引き受けた」。ベルデニック監督は紅潮した顔でまくし立てる。納得できる部分も多かったが、耳を疑ったのは次の言葉だ。

 「フロントはこの戦力でJ1に上がれると思ってらしい。私は最初から疑問だった」

 開幕前はJ1昇格が目標だと明言している。「これでは監督が不思議だと言い続けてきた『本音と建前』そのものではないですか」。そうただした。

 眉間のしわが一層深まった。「ならば開幕のあの時期にどう言えば良かったのか。知っているなら教えてほしい」。できの悪い学生を見詰めるような目でにらまれながら答えが返ってきた。この日以来、解任の動きは一気に表面化した。

新たに就任した伊藤監督。指導力に定評はあるが、立て直しには時間が短すぎる=8日

時間が足りない

 今月2日のホーム東京V戦はバックスタンドで見た。中山仁斗、中島元彦、遠藤康とリーグ屈指のタレントをそろえながら、攻めが全くかみ合わない。ここまで崩れてしまったのかというのが実感だ。

 ゲーム後が印象的だった。ピッチを回るイレブンの最後尾に伊藤彰監督が続こうとする。Jリーグで選手とともにスタンドにあいさつする監督は少ない。しかも負け試合だ。スタッフが2度会見場へ促したが首を振って聞かず、ピッチを一周した。

 インタビューを聞いていても誠実な人柄が伝わってくる。甲府時代の指導力は高く評価されていた。でも、今のチーム状態を上向かせるには時間が足りな過ぎるのかもしれない。

 以前ベルデニック監督に日本人選手の決定力不足について尋ねた時の答えを思い出す。「20歳を過ぎた選手にシュート技術を教えることはできない。10代になる前に覚えておくことなのだから」。全て一朝一夕にはいかないのがサッカーだ。
(編集局コンテンツセンター・安住健郎=04、05、13年ベガルタ担当)

 =この稿は(下)に続きます=。

完敗した新潟戦の後も、伊藤監督は選手とともにサポーターに挨拶に向かった=8日

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