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ベガルタJ2戦記(8)沖縄、埼玉、ブリラム 真夏のドローに考える「春秋制」

 ベガルタ仙台は今季、J2から再出発した。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」

琉球戦は引き分けに終わり、肩を落とす鎌田(32)ら仙台の選手

 ベガルタ初の沖縄の公式戦は、ほろ苦い結果に終わった。10日にあった琉球戦。試合開始時の気温は31度、湿度60%だった。数字を聞くとぞっとするが、現地にいた記者は「それほど暑さは感じなかった」という。沖縄市にあるスタジアムは太平洋に面しており、ゴール裏スタンドが低く海風が吹き抜ける。結果は最下位相手に痛いドロー。暑さは言い訳にならないようだ。

 Jリーグは春に開幕して冬にシーズンを終える「春秋制」を採る。夏の時期をどう戦い抜くかはどのチームにとっても課題となる。

大宮戦の前半、仙台・佐藤がペナルティーエリア内で相手DFの反則を誘ってPKを得る

 2004年シーズン、アウェーの大宮戦は埼玉スタジアムの開催だった。公式記録を見ると午後6時半の試合開始時の気温が29・9度とある。スタジアムは高いスタンドに四方を囲まれ、ピッチは熱い空気がこもる。夏は選手に評判の悪いスタジアムだった。開始早々に大宮に退場者が出てベガルタが優位にゲームを進めたが、2度のリードを守れずドローに終わる。「倒れるまで走れ」というのが敵将・三浦俊也監督(釜石市出身)のハーフタイムの指示だった。10人の大宮にしてやられた。

 欧州に合わせた秋春制の導入はJリーグ発足前から何度も議論されてきた。一応の決着がついたのは17年のこと。理事会が見送りを正式に決めた。

3月の東北ダービーに向けたNDソフトスタジアムの雪かきの様子=3月6日

 一番の問題は積雪だ。J2だと秋田や山形、新潟など日本海側のチームはピッチが雪で覆われ、試合どころか練習もままならない。今季開幕前、山形のホームNDソフトスタジアム(天童市)は1・3メートルの積雪があったという。ホーム開幕戦となったベガルタとの東北ダービー(3月20日)に向け約1カ月前の2月23日から毎週末100人を超えるサポーターが雪かきをして開催にこぎ着けている。

 欧州は全般的に積雪量が少ない。ドイツのようにクリスマスから約1カ月のウインターブレーク(冬休み)を設けて厳寒期を避けるリーグもある。多雪地帯もあるロシアは3カ月以上のウインターブレークがある。

 秋春制導入にはスタジアムや練習場への芝ヒーター導入など、多額のコストが必要になることも二の足を踏む理由となっている。酷暑の中のプレーも日本サッカーの特色として捉えるしかないのだろう。

プレミアクラブの本拠地かと思わせるブリラムのスタジアム

 暑さと言えば忘れられないゲームがある。ベガルタが世界に一歩を踏み出した13年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)予選。アウェーのブリラム戦だ。

 東北部にあるブリラム県は典型的なタイの地方都市。当時はバンコクからの航空便がなく、移動手段は高速バスと時間通りに動かないタイ国鉄だけ。カメラマンの機材もあるため、空港でレンタカーを借りて約400キロの車の旅となった。

 赤土の大地を貫くハイウェーをひたすら進んでいくと、荒野に突如真新しいスタジアムが現れた。ブリラムの本拠地「サンダーキャッスル(雷の城)」。威容はプレミアリーグの本拠地かと思わせるほど。豪勢なサッカー専用競技場は、有力政治家で地元の富豪ネウィン氏が私財を投じて建設した。

 ネウィン氏がブリラム・ユナイテッドを買収したのは10年。潤沢な補強費を使い、わずか1年でタイ国内3冠を達成するまでに成長させた。イサーンと呼ばれるタイ東北部は国内でも貧しい地域だ。その中で突如生まれた強豪チームに市民は熱狂した。街中は普段着としてユニホームを着た若者であふれている。価格は数百円と格安。これもネウィン氏が補助していたという。

スタンドはブリラムユニのサポーターで埋め尽くされていた

 負ければ敗退が決まる試合で、ベガルタは後半に先制を許した。沸き上がるのは観客席だけではない。記者席にも大量の紙吹雪が舞った。投げた男の胸元には報道パスがぶら下がっている。地元メディアも行動はサポーターと同じ。ブリラムがゴールに迫ると絶叫し、シュートが外れると机をたたいて悔しがる。

 ベガルタは攻めながらもゴールが遠い。試合開始は現地の午後6時。2時間の時差があることもあり、試合終了から原稿の締め切りまでは5分ほどしかない。後半もロスタイムに突入し、負け原稿を書き終えて送信ボタンを押そうとした時、中原貴之が豪快なボレーを決めて追い付いた。

後半ロスタイム、華麗なボレーシュートを決める中原(9)

 紙吹雪にまみれた記者席で、あれほど慌てて原稿を書いたこともない。送り終えた頃、ブリラムサポーターからの「センダイ」コールが聞こえてきた。サポーターにとっては最も悔しい展開だったろうに。試合中の激しさとは対照的な優しさ。それもまたタイ人らしい。ベガルタのACLの戦い。次はいつ見られるだろう。
(編集局コンテンツセンター・安住健郎=04、05、13年ベガルタ担当)

遠くブリラムまで駆け付けたサポーターと喜びを分かち合うイレブン

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