(606)もの書きの肺に生まれる金魚かな/加藤知子(1955年~)
金魚という文字が俳句にあれば季語になりますが、ほかの「金魚」との違いは、情報量の厚みと季節感、現実感が伴うことでしょう。金魚が肺というあり得ない場所に生まれていますが、泳ぐ姿や生態、ぱくりと餌を食べる姿を緻密に想像したほうが楽しい気がします。水がなく苦しんでいるかも、想像という活力を得て生き生きと…
関連リンク
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「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。