(832)新聞が新聞紙となる春の夜/宇多喜代子(1935年~)
インターネットでは情報を検索して自分が興味のある事柄をすぐに知ることができる。一方で新聞を開くと記事や教養などが隙間なく載っていて、社会全体を知ることができる。興味のない記事も、広い視野を持つきっかけになる。そんな新聞も読み終わると資源ごみとなるが、まだまだ有効に活用できる。野菜の保存や濡(ぬ)れ…
関連リンク
- ・(831)春宵のきんいろの鳥瞳に棲める/富澤赤黄男(1902~1962年)
- ・(830)梅ちるやとうんとうんと晝(ひる)の波/高橋睦郎(1937年~)
- ・(829)竜天に登るを黄河追ひゆけり/松崎鉄之介(1918~2014年)
- ・(828)何処にでも行ける切手を買うて春/大島雄作(1952年~)
- ・(827)春や春クリームぴゆと出ぴゅと戻り/箱森裕美(1980年~)
「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。