能登半島地震 東日本大震災学ぶ、生かす(1) 避難所運営 備えや支援、乏しさ今も
正月の平穏を襲った石川・能登半島地震。津波被害や原発の立地など、東日本大震災で被災した石巻地方との共通項は多い。震災では注目されなかった建物の倒壊や火災など、想定すべき新たな課題も表面化した。次の大災害で被害を最小限に食い止めるため、私たちに必要なことは何か。石巻地方と能登半島。二つの被災地の現状と課題を探った。(大谷佳祐、西舘国絵、漢人薫平)=6回続き=
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「段ボールを敷いて寝ている」
「水がなくトイレが大変」
「足が伸ばせず、食事は数日間取れなかった」
冷たい風雪が吹き付ける能登半島の被災地で聞こえてきたのは、13年前の震災でも浮き彫りになった避難所の苦境だった。
■不十分な備蓄品
地震から3日目、輪島市河井町の建設業坂下克利さん(46)が初めて手にした食事は「少しのお菓子とコップ1杯に満たない水だけだった」。段ボールベッドが2週間目にようやく届いたが、1人1畳ほどの空間での生活に疲弊していた。
珠洲市の一部避難所では、滞る食料支援に耐える日々が2カ月にも及んだ。有志で運営に携わる同市野々江町の陶芸家砂山美里子さん(66)は「何度頼んでもパンが届かず、炊き出しは3日に一度あるかどうかだった」と振り返る。事前の備蓄品はわずかで「行政は(普段から)すべき備えに目が行っていなかった」と憤る。
■コロナ感染拡大
新型コロナウイルスの感染拡大という災禍も、各地の避難所を襲った。輪島市河井町で酒店を営む高田雅文さん(63)は、自身や家族、知人らが相次ぎ感染。「避難所で医師からもらえたのは解熱剤だけ」と明かす。感染した先輩は、県外の病院へ移送中に帰らぬ人となった。「せめて治療薬があれば助かる命だった」と声を震わせながら、国が主体となった非常時の医療体制の拡充を訴えた。
国の主導が求められるのは医療に限らない。現地入りした石巻地方の支援者は、物資輸送や人的支援などあらゆる面で自治体単位での対応の限界を感じた。50代の支援者の1人は「迅速な初動には自治体間の事前の連携が不可欠。国が予算を割いて進めなければ実現しない」と強調する。
一方、自主避難所を開き、支え合う市民の姿もあった。志賀町草木の坂本哲郎さん(80)は所有するビニールハウスで近隣住民約10人と暮らす。停電に備え用意していた石油ストーブを囲み、持ち寄った野菜や支援物資で食事を作る。ハウスへの避難を提案した橋本睦子さん(82)は「田舎の人は心を一つにできる」と住民の連帯を誇る。
■対策見直す動き
能登半島地震を機に、石巻地方でも避難所の在り方を見直す動きがある。
震災の津波で甚大な被害を受けた東松島市野蒜の亀岡自治会。桜井けい子会長(68)は「能登では住宅倒壊が目立ち、津波でやられた東日本とは別の災害のよう。経験したのとは異なる災害も来ると構えた方がいい」と指摘する。
地域の世帯減少と高齢化も踏まえ、指定避難所が開設されない時にも、地区集会所を活用するなど自主的に避難できる方策を探り始めた。桜井会長は「地域の連携も図りながら、自分の身を自分で守る備えが必要だ」と心構えを語る。
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