能登半島地震 東日本大震災学ぶ、生かす(2) 津波 直後に襲来、訓練生きる
正月の平穏を襲った石川・能登半島地震。津波被害や原発の立地など、東日本大震災で被災した石巻地方との共通項は多い。震災では注目されなかった建物の倒壊や火災など、想定すべき新たな課題も表面化した。次の大災害で被害を最小限に食い止めるため、私たちに必要なことは何か。石巻地方と能登半島。二つの被災地の現状と課題を探った。(大谷佳祐、西舘国絵、漢人薫平)=6回続き=
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目の前に海が広がる静かな集落は、地震と津波で一変した。海岸線沿いに並ぶ住宅は崩れ、庭先や砂浜には津波で流された家具や日用品が散乱していた。
能登半島の先端に位置する石川県珠洲市三崎町の寺家地区。震源に近く、押し寄せた津波の高さは4メートルを超えた。
「揺れてすぐ避難して、近くの集会所に着いた時には集落に津波が来ていた」。地区の漁師山崎一郎さん(75)は瞬く間に到達した津波に驚いた。「自分たちは大丈夫だと、どこかで津波をなめていたのかもしれない。訓練をしていたから命だけは助かった」
■震災の教訓、救う
住民を救ったのは東日本大震災の教訓だった。地区では震災をきっかけに年1、2回、避難訓練を重ねてきた。合言葉は「何かあれば高台へ」。住民同士が声をかけ合い、集会所を目指す。高齢者が多いが、津波の犠牲者は出なかった。
地区はメバルなどの刺し網漁が盛んな漁師町。山崎さんの仕事仲間の舟木光博さん(76)は「時期が違えばみんな海に出ていた。犠牲者ゼロには刺し網が休漁期間で自宅にいたことも大きかった」と話す。
■到達まで1分弱
能登半島地震の津波は直下型の活断層地震で発生し、わずか1分弱で到達した「即時津波」だった。プレート境界型で到達まで30分以上あった震災とは大きく異なった。
能登で津波の人的被害が少なかった要因について、現地を調査した東北大災害科学国際研究所の今村文彦教授は「第1波到達は地震直後だが、堤防を越える波が来たのは約20分後。時間に多少の余裕があったため、臨機応変に避難できたのではないか」とみる。
■石巻でも可能性
石巻地方を含み県内ではこれまで、活断層型地震による津波が発生したことはない。しかし、今村教授は「起きる可能性はゼロでない」と指摘する。
津波の到達時間は地形や地震のメカニズムによって変わる。世帯数や住民のつながりの深さなど地域の状況もさまざまだ。今村教授は「常にリスクを想定し、住民同士で避難の在り方を話し合ってほしい」と訴える。
山崎さんと舟木さんは変わり果てた寺家地区の姿に「家と船をなくした漁師は戻って来ないだろう」と口をそろえる。高齢化も加速する。残った住民で次の災害に備える難しさを感じながらも「本当に津波が来るのか、半信半疑だった人もいたはず。被災してより学んだと捉えるしかない」と前を向いた。
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