能登地震 被災地から募金活動の恩返し、女川小中に桜貝細工届く 石巻かほく紙面きっかけに
能登半島地震被災地への募金活動に取り組んだ女川町女川小中に、被災地石川県から貝殻の贈り物が届いた。送り主は貝細工作りを趣味にしている同県志賀町の上野良助さん(81)。「子どもに楽しんでほしい」と届けられた貝細工は、被災地をルポした「石巻かほく」紙面とともに校内に展示され、子どもたちの教育に役立っている。
上野さんは、増穂浦(ますほがうら)海岸に打ち上がる桜貝で約30年、桜や鳥の絵を制作してきた。元日の地震では家が損傷。2月、取材で上野さんを訪ねた三陸河北新報社記者に「石巻の子どもに貝を譲る」と伝えていた。本社はこの話を3月29日付紙面で紹介した。
記事を読んだ女川町教育委員会の坂本忠厚さんが、同校に作品や貝を譲ってもらおうと学校に相談。児童生徒は自主的に募金活動を実施するなど能登半島地震に関心を寄せていたことから、上野さんからの贈り物を通じて被災地を深く知る一助しようと依頼した。
届いたのは、貝殻を並べて花の形にしたものなど作品3点と、ばらばらの状態の貝殻。貝細工を見た6年の今野絢華さん(11)は「初めて見る色の貝。いつか海岸まで見に行きたい」と目を輝かせた。斉藤雄士君(11)は「女川は東日本大震災の時に全国のお世話になった。感謝の気持ちを込めまた募金活動したい」と話した。
4月23日には、同中の生徒会の4人が上野さんと電話で交流した。生徒が発災時の様子や現状を尋ねると、上野さんは「家は現在もブルーシートで応急処置をした状態。町の風景は地震から変わっていない」と現状を話した。
生徒会長の3年高橋莉生さん(14)は「上野さんの話は震災とリンクする点があった。現地の様子を報道で見て怖いと思っていたが、元気そうな声を聞いて少し安心した」と話した。
もらった貝殻の一部は今後、同小おながわ放課後楽校の活動でも活用し、上野さんの作品を参考に桜の絵を制作する予定。
石巻かほく・記者コラム「水紋」(3月29日付)
■力不足
2月、能登半島地震の被災地を取材で巡った。技量不足であれこれ聞き逃したこともあれば書き損ねたものもある。
石川県志賀町の上野良助(よしすけ)さん(81)には宿題をいただいた。半壊した自宅の様子を伺っていると、貝の話になった。はてと思いつつ納屋に付いて行くと、淡いピンク色した衣装ケースが積まれていた。中身は大量の桜貝。徒歩1時間の海岸で30年、拾い続けてきたという。
貝細工作りが趣味で、自宅玄関に貝を接着剤で重ねて描いた桜を飾っていた。1センチ大の貝殻は指先の力で割れる繊細さ。これでテレビ番組「人生の楽園」にも出たんだ、と照れつつ教えてくれた。
これはと思い作品も取材したが、どう取り扱えば紙面に登場させられるか、つまり弊紙の主題である「石巻」に寄せられるか思いつかなかった。上野さんが石巻地方在住なら悩まないが、結局力足らずで原稿にできなかった。「連絡があれば石巻の子どもに貝を譲ります」との学校関係者への伝言をここで紹介する。
食品トレーいっぱいに頂いた貝殻は、きれいなものを宿泊先のホテルで小一時間かけて選別し、石巻に持ち帰った。これもどう取り扱ったものか、1カ月たっても思案している。(西舘国絵)
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<能登半島地震 寄付・支援>
石巻市の上大街道第二町内会は8日、市に災害義援金10万円を寄託した。台湾東部沖地震への救援金10万円も寄託した。
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