「生きている家」、記憶つなぐ 被災民家を一般公開 石巻アートプロジェクト
東日本大震災の津波による爪痕を当時のままに残す石巻市渡波の民家が4、5の両日、市民に一般公開された。損壊し傷付きながらも「生きている」家を、震災や記憶を語り広めるきっかけに活用できないかと、かつての住人が企画した。参加者は被災物を写真に記録しながら語り合い、被災から13年たった家ににぎやかな声が響いた。
民家は近所に住む彫刻家ちばふみ枝さん(42)の実家。1989年に建てられた2階建ての一軒家で、長浜海岸から数百メートルの距離にある。津波は1階の天井まで到達した。
震災時は家に4人暮らしで、祖母の千葉みつさん=当時(82)=が避難途中に津波にのまれて亡くなった。ちばさんは「小さい頃はよくお絵かきを見てもらったり、自転車の後ろに乗せてお出かけに連れていってくれたりした」と幼少期を振り返る。
家はその後空き家となったが、震災当時埼玉県に住んでいたちばさんがUターンし、今はアトリエ兼倉庫として使っている。家の今後を考え出した頃、自身も参加する市内の芸術関係者による「石巻アートプロジェクト」の働きかけがあり、昨年5月、初めて家を公開した。天井板がはがれ、壁に津波が到達した痕跡が残る家を会場に、祖母の衣服を写真に収めるワークショップを開催した。
2回目のワークショップを開いた5日は約10人の訪問があった。桜やアジサイが背を伸ばす庭が見える居間で、ちばさんと一緒に祖母の遺品の服を取り出した。ケースから花柄のワンピースや意匠を凝らしたカーディガンが次々に出てくると、参加者は「わあ」「すてきな服!」と口々に話した。参加者の一部は気に入った服を持ち帰った。
同市の自営業阿部史枝さん(52)は「かわいい服がたくさんあって、どんな人なのか想像しながら過ごした」と話した。
生前の祖母を知る友人らも参加した。「みつさんはハイカラで明るい人だった」と語る同市渡波町1丁目の無職小林照子さん(80)は、短歌や太極拳など趣味を通じた交流があった。お互い青森県出身という共通項があり「鰺ケ沢なまりが聞いていて懐かしかった」と思い出を語った。
ちばさんは「こんな物があったんだと改めて気付かされた。片付けは一人だと労力がいるが、皆さんと一緒の作業は今後の原動力にもなる」と感謝した。
家は10月にも一般公開するほか、自身の彫刻も含めた震災に関する作品の展覧会を来年2月ごろに開催する予定。
ちばさんは「震災の語り方はさまざまで、どう向き合っているかは作品に表れる。震災を一つの視点で捉える窮屈さから離れ、それぞれの考え方を肯定できる場所にしたい」と話した。
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