(919)死思えるは生きておりしよ著莪の花/大井恒行(1948年~)
湿り気のある日陰に自生することの多い著莪(しゃが)は、美しくも怪しげな白い花を咲かせる。その姿は、ふと頭をよぎる「死」にどこか似ているのかもしれない。この句はそんな死への思いを、恐れを乗り越えて肯定的に捉えようとしている。死を思っているのは生きている証し。逆に、生きているから死を思うことができる。…
関連リンク
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「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。