文化財を生かす 被災施設の奮闘(上) 失う 膨大な資料、汚泥まみれ
東日本大震災で被災し「文化財レスキュー」で救出された旧石巻文化センターの所蔵資料が、石巻市に全て返却されてから1年がたった。震災では多くの文化財が傷つき、失われ、修復には長い年月を要した。文化センターと同市の旧おしかホエールランド、東松島市奥松島縄文村歴史資料館の被災状況やレスキューの歩みを振り返り、資料保存の在り方を考える。(西舘国絵)
石巻市南浜町にあった石巻文化センターは、震災で高さ3メートルを超える津波に襲われた。避難の途中だった学芸員1人が犠牲になった。
■収蔵品調査データ、水没
「まさかこれほどの津波が来るとは」。当時学芸員だった市震災伝承推進室の高橋広子さん(50)は、命からがら逃げ込んだ建物から海に沈む南浜地区をぼうぜんと見ていた。
翌朝、水が引いた館内は「かき混ぜられたようにグチャグチャ」だった。ヘドロやがれきがあふれ、製紙工場から流されたパルプが至る所にこびりついていた。
被災した収蔵資料は13万点を超えた。絵画や彫刻は汚泥とパルプにまみれ、多くの民俗資料が流されて消えた。津波は積み重ねてきた情報も奪った。学芸員らが収蔵品を調査・撮影したデータは水没し、バックアップごとほぼ全てが失われた。
高橋さんは「資料は手が付けられない状態だった。私たちには何もできなかった」と振り返る。
東松島市宮戸地区の奥松島縄文村歴史資料館は、野蒜地区にあった収蔵庫の天井まで津波が到達した。土器や石器などコンテナ箱約800個分の考古資料が波にのまれた。
■資料守る機能はなし
収蔵庫は資料館の手狭な倉庫を補うため、旧野蒜保育所を改修して使っていた。資料を守る機能は乏しかった。
「流されて駄目になっただろうな」。当時副館長だった元館長の菅原弘樹さん(62)が現地を確認できたのは、宮戸と野蒜を結ぶ橋が復旧した4月。半ば諦めて向かった。
暗い収蔵庫に足を踏み入れると「バキッ」と音がした。土器が割れる音だった。ヘドロに覆われていたが、大幅な流失は免れていた。半年前、シロアリ被害で傷んだ床板をコンクリートに改修したことや、窓ガラスが津波に割られなかったことが幸いした。
「偶然が重ならなければ全て流されていたかもしれない」。菅原さんは「予算の問題で収蔵庫を建てられないでいた。物より人命が優先されるのは仕方ないが、文化財の保管も重要だと痛感した」と省みた。
石巻市鮎川浜のおしかホエールランドは10メートル近い津波に襲われ、全壊した。ホルマリン漬けの標本や漁具など展示品の大半が流失。被害の全容は今も分かっていない。
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