<仙台空襲79年アンケート>空襲の体験談と知っているエピソード全文
河北新報社は6月27~7月4日、太平洋戦争末期の1945年7月10日にあった仙台空襲の伝承に関するアンケートをインターネットを通じて実施し、実際に経験したことや、親族・知人などから聞いて知っているエピソードなどを募集した。
204人から得た主な回答を紹介する。(一部抜粋を含む)
「仙台駅前は焼け野原」「西公園の崖から飛び降りた人も」
亡き祖父母から、B29爆撃機の音が怖かった、仙台駅前が真っ赤になって焼け野原になっていた、遺体があちこちにあって悲惨な状況だったと聞きました。(仙台市宮城野区・50代会社員)
そこら中に倒れている死体を懸命に運んだと聞いた。焼夷(しょうい)弾の炎に追われて、西公園…
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