仙台空襲79年「憎んでも憎みきれない」県庁から北仙台駅へ走って避難
1945年7月10日の仙台空襲で、仙台市青葉区の只野紀夫さん(87)は無数の焼夷弾が空から降り注ぐ中、宮城県庁近くの自宅から北仙台駅方面へ走って逃げて生き延びた。「戦争は軍人だけでなく一般市民がこんなにも命を落とす。二度と起こしてはならない」と、無意味で残虐な戦争の理不尽さを訴える。
只野さんは当…
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