仙台空襲 7日前の攻撃の標的は「操車場」か 市民グループが米軍史料で確認
1945年7月10日の仙台空襲に先立つ3日、仙台市南部であった空襲について、市民グループ「仙台・空襲研究会」(新妻博子代表)が米軍の史料で、貨物列車の編成を整える市内の「操車場」が狙われたとみられる記述を見つけた。実際に攻撃の被害を受けたのは、旧陸軍の幹部を養成する仙台陸軍幼年学校など三神峯(現太…
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