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煙が上がる防空壕の中で、母子は息絶えていた<証言 仙台空襲(上)>

 多くの人々で連日にぎわう仙台市中心部は、太平洋戦争末期の1945年7月10日、一夜にして焦土と化した。1400人近くの民間人らの命を奪った仙台空襲は、復興や再開発を経て市民の記憶から薄れつつある。79年前の惨禍を生き抜いた2人を訪ね、あの日の行動を地図に重ねて振り返ってもらった。(せんだい情報部・…

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