滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第2部 少年期編(3) 相撲で培った体力、今につながる
高校は進学校の水戸一高に進学した。1年生の時の担任が顧問だったことから、相撲部に入部することになる。ただ、初めから入ると決めていたわけではなく、半ば強引な形で相撲を始めることになった。
元々は弓道部だった。父が師範学校の教員だったこともあって家に弓があり、小さい時から触っていたのでなじみがあったからだ。自宅のすぐそばには茨城大があり、弓道部の主将が近所の人で顔見知りだったことも大きい。1年の夏休みに毎日、大学の弓道場に遊びに行って練習させてもらった。その成果なのか秋の新人戦で活躍できた。
高校入学時から体は大きかった。1年生の体育祭で、クラスが全校で準優勝したこともあってか、根元という同級生と共に担任から相撲部にスカウトを受けた。
担任は各クラスを回って「根元と須能は相撲部に入ったから」と、まだ入部していないのに生徒たちに話していた。根元が先に相撲部に行ってしまったことや、試しに出ることになった相撲の新人戦の後、先輩が食事をおごってくれたので辞めるに辞められない状況になってしまった。
大会にはOB会の人たちも来る。試合後に大盛りのカツ丼を出している食堂に連れて行ってもらった。高校生の食欲を考えたら、その誘惑に負けてしまったのかもしれない。
そんな水戸一高相撲部には「官費旅行ができるクラブ」というキャッチフレーズがあった。私が入学する前になるが、生徒が修学旅行先の大阪で悪さをしたことから、修学旅行そのものが学校行事からなくなっていた。
当時の茨城県で相撲部がある学校はわずか6校。優秀な指導者がいたり、スポーツ推薦で選手を集めたりしているようなダントツで強い学校もない。
実力に大きな差がないので、県大会で4位までに入れば関東大会進出、その先も頑張れば大阪で開かれていた全国大会に行くことができた。
他校は当たり前のように修学旅行があるが、自分たちはない。「結果を残して旅行に行く」。それが高いモチベーションとなり、稽古を頑張ることができた。
在学中、実際に大阪や伊勢神宮に行った。関東で2位になった成績が評価され、全国選抜大会で石川県にも招待された。スポーツとしての魅力ではなく、こういった「特典」を前面に押し出して部員を集めた。
高校生の主要な大会以外に、青年団の大会にも出たことがある。水戸一高OB会の中に混ざって大人と取り組みをした。高校生同士の時とは違い、体の大きい人と試合をすることで、他校よりも体をつくるのは早かったのだろう。
相撲部の顧問は物理の担当で「相撲は体重×スピード」と話していた。運動力学で考えると、ある程度の重さとぶつかる速さがあれば相手に強い衝撃を与えることができる。私は押し出す相撲が得意だったので、関東大会で準優勝できたのだと思う。
振り返ると昔から体が硬く、柔軟性に欠けていた。中学でやっていた野球もだが、複雑な動きや専門的な技術を要するよりも、相撲のぶつかり合いなど、単純なスポーツの方が性に合っていたのではないか。
先輩から「手が小さい力士は大成しない」ということを聞いていたので相撲は高校でやめた。それでも、80歳を過ぎても毎朝、石巻魚市場に通える体力があるのは相撲によって培われたものだろうと思う。
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