(1065)トーストに塗って食べたいような空だ/出雲にっき(2001年~)
自由律俳句と言うと、どうしても境涯(きょうがい)性が言葉の端々からにじむような作品を思い浮かべる。たとえば大橋裸木、種田山頭火、尾崎放哉の句など…。しかし掲句の軽やかさはどうだろう。普通、食べ物が青…
関連リンク
- ・(1064)枯色は時に金色湖岸道/原朝子(1962年~)
- ・(1063)切株はじいんじいんと ひびくなり/富澤赤黄男(1902~1962年)
- ・(1062)手袋の指が選びて花束に/矢野玲奈(1975年~)
- ・(1061)冬ぬくくガザ瓦礫(がれき)から誰かの腕/関悦史(1969年~)
- ・(1060)呼吸する芒野(すすきの)だれかいませんか/神野紗希(1983年~)
「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。