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今は廃墟の「夢の遊園地」巨財投じて実現 宮城・大崎、異才の経済人を偲ぶ 「強引だけどかわいらしさがあった」

偲ぶ会で飾られた後藤さんの写真。思い出を語る本人の音声も披露された

 宮城県大崎市のJR古川駅周辺開発、化女沼レジャーランドの経営など、経済人として昭和、平成の旧古川市(現大崎市古川)に大きなインパクトを与えた後藤孝幸さんが2月8日、亡くなった。享年94。3月20日に市内であった「偲(しの)ぶ会」には親交のあった約20人が集い、古川発展の夢を追い続けた異才の生涯を語り合った。

 1930年、旧志田郡荒雄村の旧家の次男に生まれた。県職員を経て、ガソリンスタンド経営などで頭角を現し、古川経済界の中心人物の一人となっていく。

 79年開園の化女沼保養ランド(後のレジャーランド、2001年閉園)は象徴的な事業だ。巨財を投じて海外から遊具を集めた。ホテル、レストラン、ゴルフ練習場なども備え、年間最大20万人を呼んだ。化女沼に競艇場を誘致するアイデアは、賛否を巡って市政をにぎわせた。

 82年の東北新幹線開業に伴う区画整理は商店街のトップとして腕を振るい、ニチイ古川店(後の古川サティ、01年撤退)を誘致。東京都台東区、米国ミドルタウン市との姉妹都市交流は先頭に立って推し進めた。

 「たくさんの夢を与えてくれた」「ユーモアと気配りがあり豪快な人」「思い立ったら動く」「強引だけどかわいらしさがあった」。出席者はその人柄と夢の大きさを懐かしんだ。

 「薫陶を受けた人生の師の一人。歴史に残る大事業を手掛けた」と語るのは呼び掛け人の伊藤康志市長。古川国際交流協会の山家稔会長は「創造力豊かなロマンの人。市民にこれだけ貢献した人はいない」。一昨年解散した化女沼観光協会の長尾仁志副会長は「一筋に夢を追う事業家だった」と振り返った。

 晩年は介護施設で暮らした。無断で抜け出して旧知を訪ね回り、職員に怒られることもたびたび。往事を回顧し、古川駅前再開発、化女沼の県立公園化など見果てぬ夢を語った。

 おいの佐々木俊彦さん(72)が話した。「常に大きな夢を持ち、チャレンジ精神と旺盛過ぎる行動力、義理と人情。人生に悔いなし、という心境で旅立ったのではないか」(村上浩康)

生涯を懸けて取り組んだ古川開発を振り返る後藤さん=2022年6月

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