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「復興桜」悲願の満開 植樹から9年余り、地元の大友さん諦めず 東松島・牛網

 東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた東松島市牛網で、復興支援で植えられた桜が9年余りを経て満開の花を咲かせた。桜がある農地の所有者で、近くに住む農業大友昭子さん(78)は苗木を植えて以降、手入れを続けてきた。大友さんは「皆さんに見てもらい、お世話になった人たちに感謝を伝えたい」と話す。(相沢美紀子)

満開の桜を見上げる大友さん=7日

 海岸に近い牛網地区の集落で暮らしていた大友さんは地震発生直後、近くの浜市小の3階に家族と避難した。襲来した津波は校舎の2階近くまで達し、濁流にのまれた住宅や車が校舎にぶつかる衝撃音は今も耳に残っている。自宅や農機は流失し、着の身着のまま避難所を転々とし、仮設住宅を経て、現在は近くの災害公営住宅で暮らす。

 植樹のきっかけは、紛争国や被災地の支援に取り組む非政府組織(NGO)「イピル・イピルの会」(東京)のメンバーとの出会い。「桜を植えてみないか」との誘いに「彩りを失った集落に住民の心の癒やしが欲しい」と答えた。

 数カ月後の2015年11月、東京や兵庫などから約20人のボランティアが駆け付け、11本の苗木を植えてくれた。同会が被災地に贈った桜は、枯れたケースも多かったと聞いた。塩害の影響が気がかりだったが、水や肥料をやり、毎日のように「私も頑張るから頑張れ」と苗木に話しかけた。

 世話のかいあって全11本は無事に根付き、地域の人たちから「復興桜」と呼ばれるようになった。なかなか咲かなかったが、昨年ようやくわずかな数の花を付けた。今春こそはと期待を膨らませていた今月上旬、こぼれそうなほどの花を咲かせた。

 震災後、共に生活再建に汗を流した夫の貞夫さんは23年12月、病のため開花を待たずに74歳で亡くなった。1人で農作業に精を出す大友さんは「天国から桜を見てくれているはず」と静かに話す。

 桜を見上げて目に浮かぶのは、お世話になった人々の顔だ。あの日の夜、不安がる住民を励ましてくれた浜市小の先生や、避難を受け入れてくれた大崎市鳴子温泉の保養施設「農民の家」(閉館)の関係者、いつも気にかけてくれる地域の人たち…。「震災でつながりができた人が大勢いるから、さびしくない」と笑顔を見せた。

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