<決壊>第1部・100年の現実-阿武隈川[1]丸森の夜/「まさか」 裏切る教訓

志子田さんが土砂崩れを目撃した現場。「山津波」は各地で多くの命を奪った=16日、宮城県丸森町舘矢間山田

 2階建ての住宅が、ふわっと浮かんだように見えた。

 10月12日午後10時50分ごろ、宮城県丸森町舘矢間山田の阿武隈川沿い。近所の様子を見に来た会社員志子田宗敏さん(57)が、車のライトで照らした直後だった。

 住宅は右から左に滑るように動き、角度を変えた。杉の倒木交じりの土砂が裏山を下り、住宅1階を埋めた。わずか数秒の出来事。激しい雨に打たれた車内から音は聞こえなかった。

 「110番してくれ! ばあちゃん捜すから」。同乗の知人男性に叫んで車外に出た。住宅に1人で暮らしていた80代女性の姿が見当たらなかった。

 翌13日午前0時すぎ、寝床に就いて程なく「ドドドド」「ガタガタガタ」と地響きがした。朝になって近所の別の場所で土砂崩れを確認した。女性は避難済みで無事だと分かった。

 自宅は床上浸水した1986年の「8.5豪雨」後に約1.5メートルかさ上げし、今回は床下浸水で済んだ。「みんな水に漬かることだけが心配だった。まさか土砂崩れとは…」

 舘矢間で住宅が土砂に埋まったのと同じ頃、福島県境に近い同町耕野の阿武隈川沿いでは、地区長の小野清一さん(68)が約5メートル崖下に落ちた80代男性を助けようと、立て掛けたはしごを下りていた。

 男性は自宅に裏山から土砂が流れ込み、外に投げ出されて脚を負傷した。急傾斜の崖は自力で登れない。脇を走る国道349号は川からあふれた水が膝の高さまできていた。

 「ホースをよこせっ」。崖上にいた妻のむつみさん(66)が垂らした長い水道ホースを男性の脇下にぐるぐると巻き、むつみさんと共に必死で引いた。「駄目だあ、駄目だあ」「頑張れ、頑張れ」。男性の声と夫妻の声が交錯した。

 何とか崖上に引っ張り上げ、土砂をかき分けて来た消防団と警察官に搬送を委ねた。男性ら地区の高齢者宅には12日夕、避難の準備をするよう直接出向いて伝えていた。

 「この辺は8.5豪雨でも命に関わる被害がなかった。その『教訓』で、自分も家も大丈夫と考えてしまう」。清一さんがつぶやいた。

 町役場南の五福谷地区は12日午後から激しい雨が降り続き、阿武隈川支流の五福谷川が早い時間から危険な状態になっていた。

 目黒礼子さん(54)は自宅そばの地区集会所に避難後、集会所にいた住民十数人を連れて午後7時ごろに自宅に戻った。比較的高い場所にある自宅の方が安全と考えた。

 集会所の外に出ると、道路は膝くらいまで冠水していた。高齢の女性を支えながら五福谷川の方を振り返ると、畳2枚分ほどの大きさの道路のアスファルトが上下にうねって流されるのが見えた。

 自宅で不気味な音を聞きながら朝を待った。「バキバキバキ」。何かが引き剥がされたようだ。「ガランゴロン」は、岩が転がっているのだろう。

 夜が明け、外の様子が見えてきた。辺り一面が濁り水に覆われ、水が引いた後は大量の土砂が現れた。

 サケが遡上(そじょう)し、ホタルも飛んだ清流の姿は跡形もない。「もう別世界。やるせない」。目黒さんは肩を落とした。


 台風19号は東北各地で過去最大の雨量を記録し、大規模な河川氾濫を招いた。11月29日現在の河北新報社の集計で東北の犠牲者は岩手、宮城、福島3県で53人に上る。堤防を決壊させた奔流を前に、深刻な水害常襲地帯が西日本だという先入観や、これまでの被害に基づいた治水の常識は崩れ去った。東日本大震災の爪痕が残る中、再び襲った自然の猛威は私たちに何を問い掛けているのか。第1部は、国の直轄治水事業着手から今年で100年を迎えた阿武隈川の被害と歴史をたどり、川と共に生きる糸口を探す。(治水のゆくえ取材班)=第1部は7回続き

[阿武隈川]全長239キロ(全国6位)流域面積5400平方キロ(同11位)。福島県西郷村の旭岳を源に本流は宮城、福島両県の22市町村、支流を含めると山形県を加えた3県の39市町村を流れ、宮城県亘理町と岩沼市にまたがる河口から太平洋に注ぐ。流域内人口は約134万。流域の西側に多雨の奥羽山脈、東側に少雨の阿武隈高地があり、西側の急勾配の支流が多量の土砂を流出させるとされる。平安時代の古今和歌集や後撰和歌集にも歌われている。

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