第2部・絡まる流れ-吉田川(1)二つの顔 氾濫と渇水、流域を翻弄

決壊した吉田川の堤防。濁流は離れた低平地まで達した=10月13日午後0時55分ごろ、宮城県大郷町粕川

 宮城県中央部を東西に流れる吉田川は10月の台風19号豪雨で阿武隈川(宮城、福島県)と同様に国直轄の堤防が決壊するなどし、約5700ヘクタールに及ぶ浸水被害をもたらした。治水施設が東日本大震災で打撃を受けた上、独特の地形条件が治水の複雑さ、難しさを生んでいる。支流でありながら本流並みの全長と多くの支流を持ち、流域に水害との闘いの歴史を刻む吉田川。その氾濫を検証する。
(治水のゆくえ取材班)

 岸辺のススキやささやぶが風に揺れ、ほとんど流れのない川面にさざ波が立つ。幅約100メートルの河川敷に対し水面幅は10メートル程度。水位も1メートル足らず。12月中旬、宮城県大郷町粕川の吉田川の姿は平穏そのものだった。

 約2カ月前、川は全く違う表情を見せた。台風19号豪雨で計画高水位(想定最高水位)を上回る11メートル超の水位となり、堤防を越えた水で幅約100メートルにわたり決壊。広範囲の浸水を招いた。

 「どこかで(堤防が)切れたんだな」。決壊地点の下流約5.3キロ、大崎市鹿島台大迫の加藤好伸さん(71)は10月13日朝、確信した。同日明け方に越水した自宅裏の吉田川の水位が急に下がり始めていた。「別の場所で(氾濫して)水が抜けたからだ」と考えた。

 案の定、午前8時すぎに粕川の決壊を知らせる緊急速報メールが届く。自宅周辺では既に1階が水没した家屋もあった。

 吉田川は中流域の宮城県大和町落合付近から河口までの30キロ近く、平らな地形が続く。ひとたび氾濫すれば上下流にかかわらず水が広がる。

 加藤さん宅周辺は海抜ゼロ地帯で水がたまりやすく、抜けにくい。地区では浸水が同月23日ごろに解消した場所もあった。「低地には最後まで水が残ってしまう」と諦め顔を見せた。

 決壊箇所は他より堤防の幅が狭く、特殊な仕様が施されるなど複雑な構造になっていた。危険性を指摘する声も以前からあったが、堤防の要件は満たしていた。

 台風19号豪雨による氾濫は国管理の流域で17カ所に上った。「粕川が決壊していなければ他の場所が破堤していた可能性がある」。東北地方整備局北上川下流河川事務所は粕川のみの決壊は偶然とみる。

 吉田川には、普段の水量からうかがえる渇水の歴史もある。支流の上流部にある県営南川ダムが1987年に完成するまで、数年おきに深刻な渇水が生じた。水不足の川が突然「暴れ川」に変わる二面性に、住民らは翻弄(ほんろう)されてきた。

 決壊地点から上流約2.5キロの大和町落合桧和田。消防団員の瀬戸勝一さん(62)は10月13日午前4時ごろ、自宅近くで吉田川で越水が始まったとの連絡を受け、土のうを積みに向かった。

 川の様子を見て、家族に電話で「堤防が切れるかもしれない。床上(浸水)は覚悟だ」と伝えた。午前6時半ごろに支流が決壊。自宅は床下浸水したが、越水は思ったほどではなかった。後に粕川の決壊を聞いて納得した。

 「あちらで切れれば、こちらは助かる」「どこかは切れる」。度重なる水害を経て、流域の住民らが得た「格言」だ。瀬戸さんは「水とけんかしても勝てない。ここで生まれ育った以上、川とうまく付き合うしかない」と話す。

[吉田川]鳴瀬川(宮城県)の支流の一つで全長53キロ、流域面積350平方キロ。全長は名取川(宮城県、55キロ)や子吉川(秋田県、61キロ)に匹敵する。宮城県大和町の北泉ケ岳を源に2市3町を流れ、東松島市の河口付近で鳴瀬川と合流して太平洋に注ぐ。大和町の国道4号から下流が国管理となる。鳴瀬川全体の流域は4市7町1村で構成され、流域人口約18万。藩制時代に年貢米を輸送する舟運が発達し、現在も国内有数の穀倉地帯として知られる。

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決壊 台風19号・治水のゆくえ
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