共生の宿命(5)青森・大間 マグロの町、揺れる思い

建設中の大間原発の前を通り漁場に向かうマグロ漁船=10月中旬、大間町奥戸

 東京電力福島第1原発事故後、本格工事が止まったままの電源開発大間原発(青森県大間町)に目もくれず、マグロ漁船が沖に向かう。

 「原発のことを気にしている余裕なんてない。海しか見てない」。マグロ漁師の南芳和さん(35)が言い放つ。弟の竜平さん(27)と「第38晴芳丸」に乗る。

 2018年に始まったクロマグロの漁獲量規制で、大間漁師らは苦境にある。厳しい環境の中、自らの水揚げ高をいかに増やすか、他の漁師が釣れない時にどれだけ釣るかが生活を左右する。

 「原発で事故があった時に困るのは自分たち。何十年も前に決まった(原発建設に伴う)漁業補償では一銭ももらっていない。風評で魚価が下がれば致命的になる」。芳和さんは建設に反対しないまでも、不安な気持ちがくすぶる。

 町は1984年、大間原発の誘致を決めた。漁業補償交渉が始まった時期は、マグロが釣れなかった時期と偶然重なった。

 大間原発はプルトニウム利用を進めたい国の意向もあり、当初は濃縮ウランが燃料の軽水炉ではなく、ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料も使える新型転換炉の予定だった。85年の計画決定後、毎年のように着工時期が延期された揚げ句、95年にコスト高を理由に中止された。

 代わりに全炉心でMOX燃料が使える現在の原発計画が策定されたが、08年の着工以来、運転開始目標は6回の延期を重ね、当初計画と似た道筋をたどる。

 「原発は『いつかできる』から『もしかしてできないんじゃないか』に変わってきた」。東京などで会社員生活を送り、1998年にUターンして町おこしに携わる島康子さん(55)が町内の雰囲気を代弁する。

 帰郷したばかりの頃、島さんが見た町は、原発だけに頼る「一本足」に思えた。「自分たちで立つためにはもう1本、足が要る」。マグロ関連商品の物販や解体ショーが楽しめる祭り、マグロ漁ウオッチングツアーなど町の魅力づくりに力を入れた。

 「大間のマグロ」は今や誰もが知る全国ブランド。特にこの10年、東京での初競りで3億3360万円(昨年)といった超高値での落札が続き、町は青森県内有数の観光地に数えられるようになった。

 島さんは「原発の補助金に頼ってばかりだと自分たちで考えなくなる。住民が頭を使い、誇れるような『原発の町づくり』ができるならそれでいい」と話す。

 原発誘致決定から36年。当時の町長や漁協組合長、推進の先頭に立った県議らは他界し、電源開発は国策会社から民間会社に変わった。原発から最短で23キロに位置する北海道函館市は建設中止を求める訴訟の原告となり審理が続く。「原発の夢」は、すっかり色あせた。

 石戸秀雄町議会議長(71)は誘致前の79年から町議を務め、町の浮沈を見続けてきた。「原発計画が駄目になっても国策に協力していれば、次世代エネルギーなど次の国策に選ばれるはずだ」と、自らに言い聞かせるように語る。

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