(4)「ここは危ない」突然の避難

避難の際に津島の自宅から唯一持ち出した喪服を眺める菅野=兵庫県三木市

福島県浪江町民・菅野みずえ(68)=兵庫県三木市

 ガスマスクの男たちは、何者だったのか。

 東京電力福島第1原発事故で、福島県浪江町から兵庫県三木市に避難する菅野みずえ(68)は、2011年3月12日に見た2人の男の正体が今も分からない。

 東日本大震災の津波で第1原発が電源喪失し、原子炉の注水状況が不明になる状況に陥ると国は緊急事態宣言を発令。11日午後9時23分、第1原発の3キロ圏内に避難指示が出た。

 12日午前5時44分に10キロ圏内に拡大し、浪江町では沿岸部の住民約8000人が逃れるように町西部の津島地区を目指した。第1原発から約30キロの山あい。誰もが安全な場所だと信じ切っていた。

 津島にある菅野の自宅にも親類ら25人が身を寄せた。「料理はみんなで手伝う。お互い気兼ねしない」。当面の生活ルールを和やかな雰囲気の中で決めた。危機が迫っていることなど知る由もなかった。

 その日の夕刻、ワゴン車が家の前に止まった。ガスマスクと防護服を着けた男2人が乗り、何かを伝えようとしている。

 「聞こえない、聞こえない」。菅野が車の窓ガラスをたたくと、中の1人が窓を開けて泣きそうな声で叫んだ。「ここは危ない。頼む、逃げてくれ」

 第1原発がまき散らした放射性物質は風に乗り、津島に降り注いでいた。男たちがなぜ知っているのか分からなかったが、深刻さは伝わった。

 家に戻って菅野は男たちのことを話し「危ないから逃げて」と呼び掛けた。13日朝までに、菅野と消防団員の長男(36)以外の全員が避難した。

 14日、第1原発の方角から地鳴りのような爆発音を複数回聞いた。12日に続き2度目だったが、前よりも腹に響くような大きな音だった。テレビをつけても爆発には触れられない。

 「見捨てられたんだ、私たち」。涙が込み上げてきた。

 津島から避難するよう求められたのは15日朝。車で夫(69)が滞在していた関西へ向かった。放射能汚染の検査を受けるため立ち寄った郡山市の体育館で、上半身に押し当てられた測定器の針が振り切れた。

 5年後の16年、避難先の兵庫県で受けた検診で甲状腺がんが見つかった。よみがえったのは振り切れた測定器の記憶。「適切に処置されていればかからなかったかも」と思うと、悔しさが募った。その年の春、手術を受けた。

 「大企業の危機管理はしっかりしているはず」。原発事故が起きる前、菅野が抱いていた幻想はもろくも崩れた。「東電を信じた自分がばかだった。われわれのような体験をする人を二度と生んではいけない。どの原発も稼働させてはならない」

 11年4月、国は20キロ圏内を「警戒区域」として立ち入りを原則禁止。その外側で年間積算線量が20ミリシーベルト超の地域は避難を求める「計画的避難区域」、20~30キロ圏内で計画的避難区域に入らない地域を「緊急時避難準備区域」に指定した。
(敬称略)

河北新報のメルマガ登録はこちら
原発事故と私

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から2021年3月で10年。巨大津波で甚大な被害を受けた3県の中で、第1原発が立地する福島は復興の遅れが目立ち、住民は今なお風評との闘いを強いられている。被災者や当事者の記憶から複合被災地・福島の10年の足跡を振り返り、あるべき復興の姿を展望する。

震災10年 復興再考

震災10年 あの日から

復興の歩み

先頭に戻る