(2)出張所の避難者対応 休みなく

3・11から現在までの出来事を、自身がまとめた記録を手元に振り返る菅野=郡山市の富岡町役場郡山支所

福島県富岡町職員・菅野利行(63)=福島県郡山市

 泥棒、町職員を装った避難物資の詐取、避難者への借金の取り立て、子どもを置き去りにして行方をくらました親…。

 東京電力福島第1原発事故に伴い、福島県内最大規模の避難所となった郡山市の県産業交流館「ビッグパレットふくしま」で、富岡町の総務課長補佐だった菅野利行(63)は被災者対応に奔走した。

 避難指示が出された富岡町と川内村から最大約2500人が身を寄せ、館内はメインの多目的ホールや会議室はもちろん、廊下に至るまで古里を追われた被災者であふれた。

 「ノロウイルスのまん延で、コンベンションホールの一部は野戦病院のようだった」と菅野。2011年4月下旬、三春町の避難所の担当からビッグパレットに合流した。

 直前の4月14日、富岡町はビッグパレットの敷地内に出張所となるプレハブの仮設庁舎を臨時的に設置。町職員150人ほどが他自治体からの応援も得て、散り散りになった住民の安否確認などに24時間体制で当たった。

 着の身着のまま避難したのは住民も職員も一緒。被災者を優先する立場から賞味期限の切れた弁当を率先して食べ、冷たい床に新聞紙を敷いて寝た。

 寒くてよく眠れない日が続き、気が立っていた。職員同士けんかになり、住民と大声でやりとりする場面も見受けられた。

 「支援する側が疲弊してしまったのでは、まともに対応できない」。菅野は職員に住む場所を1カ月以内に探し、避難所を出るよう指示した。

 住民はひたすら、情報を求めていた。「国の方針などを巡り報道が先行するたび説明を求められたが、情報がなかった」。それでも役場が業務を続けていることを示すため、5月からは広報紙を月2回程度発行し続けた。

 ようやく安否確認の作業が落ち着いてきた6月、布団や掃除機など生活必需品の配布を開始。県は県内の避難者にだけ配ると言ってきたが「県外にいても同じ富岡町民だぞ、ふざけんでねえ」と抗議した。

 災害救助法が現物支給を原則としているため、支援物資は全て郵送せざるを得ないと分かった。7億円分の物資に送料が2億円近くもかかった。「法律は複合災害や広域避難を想定していない。制度の不備を痛感した」

 全避難者が仮設住宅やみなし仮設へ引っ越し、ビッグパレットが避難所の役目を終えることができたのは8月31日。

 ビッグパレットも被災したため改修が必要で、町は郡山市内に2階のプレハブの事務所を建設。12月19日に開所した「町役場郡山事務所」は、町の避難指示が帰還困難区域を除いて解除される17年4月まで役場の本体機能を担った。

 町は役場が町内に戻った後も郡山、いわき両市内に置いた支所で県内外の避難者の対応を続ける。郡山支所内の地域包括支援センターでセンター長を務める菅野は「コミュニティーを失った独居高齢者の孤立が顕著になっている。避難生活が続く限り、住民に寄り添い支援することがわれわれの使命だ」と言う。
(敬称略)

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原発事故と私

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から2021年3月で10年。巨大津波で甚大な被害を受けた3県の中で、第1原発が立地する福島は復興の遅れが目立ち、住民は今なお風評との闘いを強いられている。被災者や当事者の記憶から複合被災地・福島の10年の足跡を振り返り、あるべき復興の姿を展望する。

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