「あの日から」第6部 地域と前へ 大熊・宗像宗之さん 古里の再生、諦めず前へ

自宅があった坂下ダムで昔の暮らしの様子を説明する宗像さん=14日、大熊町

 風景は日々変わる。福島県大熊町大川原地区には町役場新庁舎、災害公営住宅が完成し、来年3月オープン予定の商業施設の建設も進む。3年後には義務教育学校も開校する。

 昨年4月、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が解除された大川原。「以前は一面、田んぼだった」。おおくまコミュニティづくり実行委員長の宗像宗之さん(67)が、埋もれた何かを探すように街を見詰めた。

 大川原に帰還した町民は281人。1万人近い町民が避難を続ける。住民登録していない東電社員ら581人も暮らすが、にぎわいが戻ったとは言い難い。「多くの町民に帰ってきてほしい。きっかけをつくらないといけない」と心を砕いてきた。

 2018年9月。避難解除を前に昼の出入りが自由になった古里で、町民が集う催しの開催を町関係者から打診された。提案されたのは盆踊り。大川原1区長として「やれる」と応じ、仲間に声を掛けた。

 荒れた神社の境内を整えてバーベキューを準備。やぐらを組んで太鼓と笛の音を響かせた。原発事故後、町とおおくままちづくり公社による町内初の催しには約80人が参加した。「大熊に帰ろう」。そんな思いに町民を駆り立てた。

 その後、町民ら有志15人でイベントの企画運営に当たるコミュニティづくり実行委を結成。委員長に推されるが、活動は「山あり谷あり」だった。

 昨年1月に開いた餅つき大会。若い人に今の古里を見てもらおうと、いわき市であった町成人式でチラシを配った。当日は町民ら150人でにぎわったが、新成人は皆無。それでも諦めない。

 昨年9月に役場前で実施した夏祭りには町出身者がメンバーのロックバンドを招き、近隣の高校生も大勢訪れた。今年1月の餅つき大会には小さな子どもも来場し、歓声が久しぶりに響いた。「またやってよ」と涙を流して声を掛けてきた町民もいた。「続けなきゃという気持ちになるね」

 そしてコロナ禍。夏祭りを中止した代わりに告知なしで花火を打ち上げ、住民を驚かせた。来年は餅つき大会に代えて町役場から2キロの坂下ダムへのウオーキングイベントを計画する。

 サクラやアジサイの名所だが、今は時季外れ。工事で水位が下がったダムに現れるのは、かつて宗像さんの自宅があった集落跡だ。

 大熊で生まれ、中学卒業後に大工になるため埼玉県へ。20歳の頃に町へ戻ったが集落はダムに沈んでおり、自宅は大川原に移っていた。ダムの水は町の農地を潤し、原発でも使われた。「にぎわいづくりは大熊の良さや歴史を再認識してもらうことかもしれない」。そう感じるようになった。

 いわき市に避難している。大工として県内外の被災者の住宅再建に忙しい。自宅の改修は後回しだが「委員全員が同じ目標を持っているから楽しく活動できる」。

 「ふりむくひまがあったらまえにすすめ」。委員おそろいの赤いウインドブレーカーの背中に、こう記してある。
(玉應雅史)

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