「水を運ぶ少年」20歳に (下)気仙沼や家族に恩返しを

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に展示されている写真を背にする魁翔さん=市波路上瀬向(新型コロナウイルス感染対策をした上で撮影しています)

 母、姉、妹と暮らしたのは、6畳と4畳半の二間の仮設住宅。部屋を隔てるのは、折り畳み式の簡単な間仕切りだけ。ストレスがたまるのも無理はなかった。
 東日本大震災後、「水を運ぶ少年」として話題になった松本魁翔(かいと)さん(20)=仙台市青葉区=。気仙沼市の自宅が流失し、小学5年から中学卒業まで、家族4人で市内仮設住宅での生活を余儀なくされた。
 中学に進むと反抗期も重なり、母いつかさん(41)と口げんかが絶えなかった。ちょっとした態度など、原因は思い出せないほど小さなこと。「なんでこんなにいらいらするんだろう」。魁翔さん自身、自分の感情が理解できなかった。
 魁翔さんが被災したのは10歳の時、小学5年になる直前だった。遊び盛りに、避難先や仮設住宅で我慢ばかりを強いられた。水を運んでいた時も、周囲の役に立たねばと必死だった。
 いつかさんは「甘えっ子だったのに、震災で急に大人になることを促された。車や建物が津波にのまれるのも間近で見ている。いら立ちはそれらの反動だったのかも」と推し量る。
 中学では、部活動のバスケットボールに熱中した。無心でコートを駆け回る時だけ、震災も不自由な仮設暮らしも頭から消えた。
 持ち前の運動神経の良さからめきめき上達し、3年時は主将を務めた。チームがまとまらず悩んだ時は、家で唯一、1人になれるトイレにこもり「水を運ぶ少年」を励ます手紙を読み返した。
 「こんなに応援してもらったのに、下を向いちゃいけない」。試合でも、声援を力に変えるタイプ。手紙はいつも自分を奮い立たせた。同時に、震災以外のことに思い煩える余裕に気付き、少し解放感も感じた。
 卒業後は、スポーツ推薦で仙台市の私立高に進学した。寮生活で洗濯や掃除を自分でこなし、今まで気付かなかった母親のありがたみが身に染みた。
 「お母さんも震災で大変だったのに、悪かったな」。最近ではぶつかり合った日々を、2人で笑って振り返れるようになった。
 二十歳になった今、理学療法士を目指し仙台市の専門学校に通う。春には3年生になり、実習が本格化し国家試験も近づいてくる。いずれは気仙沼市の病院に勤めるのが目標だ。
 「震災では、脚が悪く逃げ遅れた高齢者もいた。そんな人を一人でも減らしたい」と魁翔さんは語る。「それが地元や母親、支えてくれた人たちへの恩返しかなと思う」
 かつて懸命に水を運んだ少年は、今も力強く人生を歩む。

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