「水を運ぶ少年」20歳に (上)全国の励ましに支えられ

がれきの中、水を運ぶ魁翔さん。写真を見た全国の人から励ましの手紙が届いた=2011年3月14日、気仙沼市
再建した実家で母いつかさん(右)と手紙を読み返す魁翔さん=気仙沼市東八幡前

 東日本大震災が起きて間もなく、気仙沼市で大きなペットボトルを両手に持ち、水を運ぶ少年の写真が全国の新聞に掲載された。松本魁翔(かいと)さん。現在は仙台市青葉区在住で、昨年9月に二十歳を迎えた新成人だ。口を固く結び、がれきの中を歩く幼い姿は人々の心を打った。励ましを胸に、長い被災生活と闘ってきた歩みを振り返る。(気仙沼総局・鈴木悠太)

 震災が起きた時、魁翔さんは10歳。気仙沼市鹿折小の4年生だった。母や姉、曽祖父母や祖父母ら家族15人と住む自宅は津波で流された。別の親族方に一時、みんなで身を寄せた。
 震災直後、市内はライフラインが断たれた。食料などを求め、せわしなく動き回る大人たち。井戸から生活用水を運ぶ役目に「俺も行く」と申し出た。
 子供心に、居候の後ろめたさを抱いていた。「何か目の前のことをしなければ」。体は小さくても、空手や野球で鍛えた体力だけは自信があった。通信社のカメラマンが捉えたのは、そんな思いで黙々と水を運ぶ魁翔さんの姿だった。
 その日を生きるのに夢中だった当時、撮影されたことさえ気付かなかった。写真は被災地を象徴する1枚として反響を呼び、新聞やテレビが繰り返し取り上げた。魁翔さんの元には、全国から累計300通を超える手紙が届いた。
 「涙が出た」「今も頑張ってるだろうけど、頑張れ」「独りじゃないよ」「私も頑張ります」
 北海道や鹿児島県種子島からの便りもあった。俳優・故高倉健さんからの1通には、魁翔さんの写真を台本に貼り、宝物にしていると記してあった。「ぎゅっと気合が入る」と語っていたという。

 魁翔さんは一通一通、全てに返事を書いた。震災の年の9月に手紙をくれた北海道浜頓別町の鎌田ナツさん(81)とは、今も年賀状や電話でやりとりが続く。
 鎌田さんは自家栽培した野菜や米も送ってくれた。お礼に気仙沼のフカヒレスープなどを送り、電話で謝意を告げると「背は伸びた?」「声変わりしたね」と言葉を掛けられ、本当の祖母のような温かさを感じた。
 顔も知らない人たちの支えに初めは戸惑い、恥ずかしさもあった。だが、中学卒業まで続くことになる仮設住宅での暮らしに気がめいりそうになる時、ふと手紙を読み返す自分がいた。無数の励ましが、また頑張ろうという気力を与えてくれた。
 新型コロナウイルスの影響で、10日に開催予定だった古里気仙沼市の成人式は10月に延期された。それでも、20年を懸命に生きてきたことに変わりはない。
 魁翔さんは、市内で4年前に再建した実家で、大切な手紙を手に振り返る。「写真から生まれたつながりにも救われて二十歳になった。あの一枚に、今は感謝している」

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