「震災10年 あしたを語る」作家 柳美里さん 消えそうな声を受け止め発信

「その時々の縁と要請に従う形で、自分のできることをやってきた」と語る柳さん=南相馬市小高区の「フルハウス」

 日常を根底から揺さぶり、多くを奪った未曽有の災禍に時が積み重なる。東日本大震災から間もなく10年。あの日を境に私たちの社会は何が変わり、何が変わらないままなのか。「復興」の先にはどんな未来を描けるのか。東北にゆかりの深い著名人が語る。

 <東日本大震災後に不通となり、2020年3月に全線開通したJR常磐線の小高駅近く。創作の傍ら、自宅に併設したブックカフェ「フルハウス」を営む>
 福島県南相馬市小高区は東京電力福島第1原発事故の旧警戒区域。16年7月に避難指示は解除されたが、住民が約1万3000人いたのに帰還者は3700人ほどで、この数カ月増えていない。孤独死と自死も心配。帰還しても避難先でも孤絶感が深まっているのではないか。
 でも決して行き止まりではない。本が違う世界への扉を開けてくれる。私自身、両親が不仲で、学校でもいじめを受けていた小学生の頃から、物語に救われてきた。本は魂の避難所。本屋が傷ついた人のためのそんな場所になればいい。
 <縁あって臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」で番組1本を担った。神奈川県鎌倉市から通った後、15年に南相馬市原町区に移住。17年現在地に転居した>
 始まりは11年4月21日。原発の半径20キロ圏内が閉ざされると知り、すぐに行かなければと福島県相双地区に入った。とにかく自分で見て歩いて感じたかった。
 FMの番組「ふたりとひとり」で、18年3月の閉局まで約600人に「あの日」の体験を聞いた。震災はあらゆる日常の中で起きていた。声に出せない人もいたが、今だから語れる思いがあるはず。今こそ聞く場が求められていると思う。
 デビュー以来「何のため書くのか」と尋ねられるたび「居場所のない人のため」と答えてきた。故郷を奪われた人の苦楽は暮らしの中にあるのだから、暮らしを共にしなければ知り得ない。鎌倉にいたままでは自分の言葉を裏切ることになる。それが移住の理由。
 私の祖父母は朝鮮戦争で祖国を追われ、日本に来た。原発と戦争は違うけれど、国に翻弄(ほんろう)される個人という構造は同じに見える。
 <10年の「節目」が巡ってくる。「震災を忘れない」といったスローガンに強い違和感を持つ>
 こう町が変わっては忘れられるはずがない。「悲しむのをやめて前を向こう」も心ない言葉。失った人や家が大切であるほど、その悲しみも大切にしなければならない。私も伴侶だった(演劇人で師の)東由多加を亡くした悲しみは一生続くと思っている。心に触れ、共に悲しむことでしか癒やされない悲しみがある。
 均一に刻まれていた時間の目盛りや、カレンダーの枠を壊したのが震災だった。止まったままの時を抱え、喪失の痛みの中に立ち尽くす人たちがいる。「3月11日」は常に意識の中にある。過ぎては行かない。
 <南相馬市出身の出稼ぎ男性が主人公の「JR上野駅公園口」で全米図書賞(翻訳文学部門)を受けた>
 皆さんに聞いた話が地層のように私の中に重なっている。かつて自分の作品には自己表現の側面があった。今は消え入りそうな声をパラボラアンテナのように丁寧に受信し、発信する役割を自覚している。
 言葉の仕事をする以上、知った責任がある。何を書くのか、どう生きるのか。震災と原発事故に根本的な問いを突き付けられた。ここで受け止めたことを物語にして、表現していく。
(聞き手は阿曽恵)

[ゆう・みり]1968年茨城県生まれ、横浜市育ち。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。93年「魚の祭」で岸田国士戯曲賞、97年「家族シネマ」で芥川賞、2020年「JR上野駅公園口」で全米図書賞(翻訳文学部門)。南相馬市移住後の著作に「ねこのおうち」「飼う人」などがある。

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