高台移転(4)事業調整/民意を反映、防潮堤低く

雄勝石のプレートが貼られた防潮堤の前で「多くの人を浜に呼び込みたい」と語る青木さん=2020年12月28日、石巻市雄勝町波板

 岩手県釜石市の根浜団地は、大槌湾が一望できる海抜約20メートルの高台にある。浜辺との間に視界を遮る高い防潮堤はなく、海の表情がはっきり分かる。

 「海とともに生きようと考えた。防潮堤は最低限の機能を確保できればよかった」。根浜町内会の事務局長を務める佐々木雄治さん(64)が、東日本大震災後の地域再建の理念を語る。

 岩手県が根浜地区で当初計画した高さ14・5メートルの防潮堤は、住民と市の検討を経て震災前と同じ5・6メートルで原形復旧した。

 県内有数の海水浴場がある根浜地区は震災で18メートルの津波に襲われた。全67戸の大半が全半壊し、住民170人のうち15人が犠牲となった。

 県の防潮堤計画に対し、住民からさまざまな意見が出る中、「観光地の景観に影響する」という懸念を多くの人が抱いた。市も観光を軸に根浜地区を復興させる計画を描いた。11年12月、防潮堤の原形復旧と高台移転を組み合わせる案を含め、複数の復興計画案を住民側に示した。

 根浜町内会は12年1月、高台移転と防潮堤の原形復旧を市に要望。13年春に行政側に認められた。

 高台の団地造成は16年に完了し、36世帯が移転した。集落の跡地にはレストハウスやオートキャンプ場などが整備され、観光の復興も本格化した。

 ゲストハウスを営む佐々木さんは「自然を観光資源とした持続可能な地域にしたい」と語る。

 高台移転後も住民は、団地より高い場所への年1回の津波避難訓練を欠かさない。「津波で二度と犠牲を出さない地域を目指す」と佐々木さんは覚悟を口にする。

 人口減を見据えた地域づくりを念頭に、防潮堤の高さを決めた被災集落もある。石巻市雄勝町の波板地区の防潮堤は震災前と同じ約4・8メートルで復旧した。県の当初計画は6・4メートルだった。

 津波で大半の住宅が全壊した波板地区の住民は12年、海辺から約100メートル内陸の高台への集団移転を決めた。移転希望は12世帯。震災前の21世帯55人からほぼ半減する見込みとなった。

 自治会副会長の青木甚一郎さん(68)は「低地に誰も住まず、高い防潮堤はいらなかった。外から人を呼ぶため、浜をどう活用するかが課題だった」と振り返る。自治会と県が調整を重ね、14年に防潮堤の計画変更が認められた。

 高台移転した波板団地などで暮らす地区住民は10世帯22人。住民だけで地域づくりは難しく、学生ボランティアらの協力を得て浜辺でイベントを開いてきた。

 16年に復旧した防潮堤の壁面には、延べ300人以上のボランティアとともに、地元の山で採れる「雄勝石」のプレートを1000枚以上貼り付けた。「作業に携わった人やその家族に、再び波板地区を訪れてほしいという願いを込めた」と青木さんは説明する。

 ただ、根浜、波板両地区のように、高台移転と防潮堤という二つのハード事業を行政と調整できた地域は少数派だ。集落が高台に移転し、海辺に住宅がない地域でも、震災前より高い防潮堤が整備されるケースが相次いだ。

高さ引き下げ1割前後

 太平洋岸433キロに約1兆円超を投じる防潮堤事業は、高台移転で守るべき家などがない場合、「地元合意」を前提に当初計画より低く造ることができた。だが自治体が事業を急ぐ中で合意形成のハードルは高まり、高台移転と防潮堤の「二重投資」を防ぐことができた例は少ない。

 防潮堤事業の基準は津波シミュレーションを基に数十年~百数十年に1度の津波を防ぐ高さ。岩手、宮城、福島3県395キロは震災前に165キロだった高さ5メートル以上の防潮堤が倍近い293キロ、10メートル以上(最大15・5メートル)は11キロから5倍の50キロに増える。

 河北新報社が整備主体の3県と岩手、宮城両県計19市町村に「当初計画より高さを引き下げたか」と尋ねた結果は表の通り。

 引き下げたのは岩手が133カ所のうち19カ所、宮城は361カ所のうち32カ所と全体の1割前後で、福島は事業の未決定区間を除いてゼロだった。

 このうち「被災集落が高台移転して住宅がない」ことも理由に引き下げたと答えたのは両県計16カ所。両県で200を超える集団移転と調整できたのは、まれだったと言える。

 宮城県女川町の御前(おんまえ)漁港は高さ6・4メートルの計画に「家が高台移転した」と住民が訴え、町は震災前と同じ4・2メートルで原形復旧した。事業費が11億円から3億2000万円に減ったように、他地区でも過剰投資を抑制できるはずだった。

 全額国費の事業は期限が当初「5年」に限られた。被災自治体はシミュレーション結果ありきで事業を急ぎ、国もまちづくりと調整する手法を示さなかった。

 「高さにこだわる」「造れるうちに造る」と村井嘉浩知事が住民に選択肢を与えなかった宮城県。14年ごろから地元合意を基に原形復旧や引き下げを認めたが、たとえ家がなくても「幹線道路が浸水しない場合」と厳しい条件を課した。

 石巻市は15年3月に「地元住民の総意」など原形復旧を認める4条件をまとめた。市水産基盤整備推進室の阿部毅室長(52)は「将来世代にリスクを負わせることになり、たった1人でも反対がいれば下げられなかった」と明かす。

 岩手県は小さい浜に原形復旧の選択肢も示したが、地元合意を終えた13年7月以降は高さを見直さなかった。後に地域から「合意形成が強引だ」と異論が出た。担当者は「説明時は『もっと高く』という声も強かったが、月日がたてば気持ちも変わる。時間をかけるべきだった」と合意形成の難しさを語る。

 海が怖い、漁業に差し障る、環境を守りたい-。住民の意見は割れ、100%の合意はあり得なかった。

 「防潮堤事業は環境や利用、防護のバランスを取る仕組みがなかった」

 複数の計画の合意形成に携わった気仙沼市議の三浦友幸さん(40)が語る。市内の大谷海岸は住民が計画変更を提案し、海水浴場の砂浜を守った。住民の強い思いと行政の努力がなければ、実現できなかった。

 三浦さんは「防潮堤の議論は賛否の対立構造が起きやすい。国が調整手法をメニューとして示し、地域が選択できる仕組みづくりが不可欠だ」と事業の教訓をかみしめる。

 土木学会はまちづくりなどを踏まえた堤防高の決め方を検討中で、近く最終報告をする。

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