「復興再考」第7部 高台移転(5完) 居住制限/「1000年想定」人口先細り

津波被災後に再建した住宅地を見つめる早川さん=2020年12月11日、東松島市野蒜地区

 コミュニティーバスが廃止になり、コンビニは閉店した。再建した家々がぽつりぽつりと立ち、隣近所が遠くなった。

 東松島市のJR仙石線旧野蒜駅周辺。野蒜まちづくり協議会の元会長、早川宏さん(73)が高台から住宅地を見下ろした。

 「松林があってびっしり家が並んでいた当時と街の空気が違う。『網』が掛かっているから仕方ない」

 野蒜地区の平野部は東日本大震災の津波で最大約6メートル浸水し、約2000棟の8割が全壊した。市は浸水域の大半を再び津波の恐れがある「災害危険区域」に指定し、居住制限の度合いに応じて3段階に分けた。

 旧野蒜駅周辺は防潮堤などによる波の緩和を計算し、1・5メートルかさ上げすれば家屋の新築を認めた。震災前の約650世帯から現地再建したのは、早川さんを含む62世帯。新築は3世帯にとどまる。

 市は野蒜地区の宅地とJRを高台に移転させる復興を描き、新駅周辺を造成して2017年にまちびらきした「野蒜ケ丘」に約450世帯が移転した。

 一方、早川さんは仮設住宅暮らしを経て12年9月、障害がある息子の生活環境を整えようと住宅をいち早く修繕した。

 周辺の津波被災地はずっと手付かずだったが、「狭い仮設住宅には白木の位牌(いはい)をテレビの横に置くしかない家が何軒もある。今は家を失った人のための高台造成が最優先」と不満を言わず、運動会や夏祭りを復活させて地域交流に腐心した。

 野蒜ケ丘への高台移転が完了する一方、気掛かりは津波被災地の行方だ。

 危険区域は、数百年~1000年に1度の「最大級津波」による想定浸水域が根拠だ。市は「宅地整備ではなく交流人口で活気を取り戻す」と旧野蒜駅を震災復興伝承館に衣替えし、運動公園を整備した。

 1000年という途方もない制限。「いったい何代先のことか」と早川さんは嘆息する。

 ただ、現実に大津波は来た。被災地に住まわせたくない行政側の気持ちもよく分かる。「人口減少はどこも同じ。ここが先に先細るだけ」。高齢世帯が半数超を占める家々の隙間を埋めるように、早川さんは隣近所に声を掛ける。

 
 海抜15メートルの高台が津波で1~2メートル浸水した気仙沼市本吉町の大谷東地区も、78軒が災害危険区域に入った。震災から間もなく10年になるが、元大谷東区振興会長の野村昌文さん(69)は釈然としない思いを抱く。

 「津波死ゼロ」を復興目標に掲げる市は、区域内でもかさ上げすれば新築を認めている。ただ、支援はしていない。区域内での再建を奨励することにつながるためだ。

 危険区域を外そうと、地区住民は防潮堤に加え、道路を盛り土構造にして堤防機能を持たせる二線堤化を要望してきたが、国と市に断られた。

 地区では盛り土や1階を車庫にするなどして4軒が新築したが、人口は減る。

 「先が分からない1000年先の危険より、次の世代の子どもたちがどっかに移ってしまうリスクの方が私たちには大きい」。野村さんは行く末を案じる。

安全重視、地域にひずみ

 建築基準法39条に基づく災害危険区域は元々、事前に土地利用を規制して危険から遠ざける仕組みだ。だが東日本大震災後は高台移転などを実現する被災者支援として使われた側面がある。前提となった津波の「最悪想定」が今も被災地を縛り続ける。

 危険区域は岩手、宮城、福島3県の26被災自治体が、津波浸水域の3分の1に当たる1万6021ヘクタールを条例で指定した。区域内の住宅は昨年4月時点で少なくとも7671棟に上る=表1=。

 条例施行は2011~12年が約9割を占める。各自治体が対応を急いだのは、危険区域が住宅再建の「手段」になったためだ。

 居住地が危険区域に入ると、防災集団移転促進事業や個別移転の補助が受けられる「がけ地近接等危険住宅移転事業」の対象となる。「被災者たちは住宅契約の印鑑を握りしめて指定を待っていた」と関係者は振り返る。

 自治体は表2のように、数百年~1000年に1度の最大級津波が防潮堤を越える浸水想定域を主に定めた。区域は地域の特性を踏まえ指定でき、多くは最悪想定で補助対象の網を広げつつ、現地再建希望者が多いエリアは浸水深などに応じて規制を緩和した。

 
 高台移転と表裏の関係にあった居住制限は指定後、「手厚く支援した根拠であり、当面変えられない」(国土交通省)と厳格に運用されている。気仙沼市は「住民に混乱を及ぼす恐れがある」などと関連資料の情報公開を先送りしている。

 そもそも最悪想定に基づく制限には、異論がつきまとっていた。住宅の耐久性が1000年もないにもかかわらず、地価下落といった個人損失が生じる「過剰規制」になるからだ。

 復興事業に詳しい東北大大学院の姥浦道生教授(都市計画)は「被災者の移転希望をかなえるために、危険区域を指定したことは間違いではなかった」と前置きした上で続ける。

 「被災直後は安全至上主義にならざるを得ず、津波の危険性低減と被災者支援がセットになった制度によって、他の災害に比べても過大なリスク評価が被災地に残された」

 住民が高台移転し、防潮堤と移転先の間の危険区域にはまばらな住宅地や空き地が広がる。バス路線が消えるなど公的サービスも維持しにくい。

 
 人口減少と少子高齢化が加速する東北で、どこまで津波リスクを考慮するべきだったのか-。将来、仮に危険区域を見直せば犠牲者が出るリスクが生まれ、明確な答えは見えない。

 東京大生産技術研究所の加藤孝明教授(地域安全システム)は「防災だけでまちづくりを考えないでほしい」と訴える。地域には多様な価値や課題があり、「防災もその一つ」というスタンスからだ。

 「自然の中で生かされているという震災の気付きを出発点に、人口減が進む被災地は『地域の持続性をいかに高められるか』を基軸に話し合ってほしい。そうすれば、被災地のひずみを少しずつ解きほぐせるだろう」と助言する。

 第7部は樋渡慎弥、小沢邦嘉、片桐大介、高橋鉄男が担当しました。

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