なりわい(1)光と影/支援投入も道険しく

二印大島水産が高台に再建した加工工場。冷凍マグロの加工に集中し、売り上げを伸ばしている=気仙沼市

 東日本大震災は、地域経済と人々の生活を支える「なりわい」も破壊した。中小企業や1次産業の現場には質、量ともに前例のない支援策が投入され、事業再開が促された。一方で、経営再建に行き詰まり、10年の間に力尽きるケースも数多くあった。企業と生産者の苦闘から、なりわい再生の現在地を探る。

 船体のさびを落とす機械の金属音が工場内に響く。

 1日、石巻市の造船大手ヤマニシで漁業調査船の修理が大詰めを迎えていた。長さ170メートル、幅36メートルのドックは東北最大規模。昨年12月に会社更生計画の認可を受けた社にとって、船舶修繕は経営再建の鍵を握る主力事業だ。

 その隣に長さ166メートルの船台がある。売り上げの大半を占めていた新造船建造部門で使うが、事業は凍結され、出番がない。管財人の松嶋英機弁護士(東京弁護士会)は「業績は順調。来年までの業績と債務の返済状況を踏まえ、新造船の事業再開を検討したい」と語る。

 ヤマニシは1920年の創業。外航貨物船の新造や船舶修繕を手掛け、ピーク時の2010年3月期の売上高は198億円に上った。東日本大震災で石巻港内の工場に約4メートルの津波が押し寄せ、建造中の大型船2隻やクレーンといった生産設備が被災。損害額は100億円に膨らんだ。

 造船業は関連業種の裾野が広く、地域経済への影響が大きい。港町の中核企業を守ろうと、国のグループ化補助金約16億円をはじめとする総額約80億円の資金が投入された。

 12年2月に企業再生支援機構(当時)の支援が決定。債権放棄とメインバンクの融資を求め、運転資金にめどをつけた。半年後の12年8月に新造船事業を再開させ、14年1月に修繕部門も復活。国が設けた東日本大震災事業者再生支援機構から40億円の出資を受け、ドックを復旧させた。

 当時の石巻商工会議所会頭の浅野亨さん(79)=石巻市=は「国の支援がなければ破産していた。再建の土台が築かれ、復興の象徴になった」と振り返る。

 華々しく再出発を果たした先に荒波が待っていた。

 08年のリーマンショック以降、造船業界は受注面で厳しい価格競争を強いられていた。震災の影響で顧客が離れたヤマニシは、下請け企業を含む人員の流出を防ぐため、船価が安くても受注を続けた。

 造船部品メーカーは西日本に集中し、高い調達コストを下げられない。融資の金利負担も重なり、14年から5期連続で赤字が続いた。売り上げは回復できず、123億円の負債を抱えて20年1月、会社更生法の申請に踏み切った。

 13年末まで約10年社長を務めた前田英比古さん(72)=石巻市=は、経営破綻の一因に営業力の低下を挙げる。支援機関から経費削減を求められ、14年に営業拠点の東京事務所を閉鎖した。「広い敷地と設備があっても十分に稼働させなければ経営は成り立たない。さまざまな支援を再建に生かす人材が削られた」と嘆く。

 ヤマニシは更生計画で120億~130億円の債権放棄が認められ、約150人の従業員を約70人に半減させた。船舶修繕と鉄構造物製造の2本柱で、22年3月期の黒字化を目指す。

 宮城県の造船会社幹部は「修繕事業を主軸に据えても大きな施設の維持は難しい。所有地売却など追加の一手が必要だろう」とみる。

 復興の道の険しさを浮き彫りにした2度目の再出発。前途は見通せない。

選択と集中、成否分ける

 なりわい再生の成否を分けたものは何だったのか。

 「これからどうしますか」

 「やるよ」

 東日本大震災当日の夜。二印大島水産(気仙沼市)の大島忠俊社長(72)は、避難先の中学校で幹部に問われ、思わず答えた。

 マグロや生カツオの加工を手掛けていた同社は、気仙沼港近くの4工場のうち3工場が津波で流失。残る本社工場も壊滅的な打撃を受けていた。

 三陸有数の港町には、震災前から水揚げ量の減少と人材不足が影を落としていた。同規模に戻すのは無理がある。港近くで鮮魚を扱えるのがいつになるのかも分からない。

 大島社長は、輸入も通年作業もできる冷凍マグロの加工に再生の基盤を絞り、復旧を急ぐことにした。「遅れれば遅れるほどマーケットに忘れられる」との危機感もあった。

 高台に仮工場を建て、2011年6月にマグロ加工を再開した。震災前に7割を占めた鮮魚加工は、同年9月に復旧させた本社工場の1階で扱える量以外、後回しにした。「また災害が起きれば、生鮮食品は欠品で取引先に迷惑を掛ける。付加価値を望める加工品に集中していこう」。港近くでの工場再建は見送り、高台で新工場を建て直した。

 売り方も変わった。震災前は全国に広がった販路から、東北のスーパーを中心に少しずつ販路を広げた。女性従業員を中心に開発したトマトバジル風味のたたきなど新商品も生まれた。売上高は従来の3分の1ほどでも、収益性は向上している。

 今後進めるのは、人と機械の協働だ。大島社長は「デジタルにたけた異業種と連携すれば、人が少なくてもいいものを作れるようになる」と力を込める。

 グループ化補助金などを活用して被災した設備を元通りに復旧しても、売り上げが回復せず、自己破産などに追い込まれた企業は多い。帝国データバンク仙台支店のまとめでは、東北の今年1月までの震災関連倒産は440件に上る。

 一方、従来の経営課題や業界の将来を見据え、限定的な設備復旧などで迅速にかじを切った企業の多くでは、補助金が回復の足掛かりとして機能した。求められたのは、従来のビジネスモデルからの選択と集中、そしてスピードだった。

 「震災前の生産能力は過剰だった。元通り再建すれば経営は厳しくなる」。水産加工の山徳平塚水産(石巻市)の平塚隆一郎社長(61)は、被災設備のうち売り上げの約8割を占めた練り物工場は再建せず、総菜工場に絞ってグループ化補助金を申請した。

 考慮したのは市場の動向だ。減少傾向の練り物に対し、総菜は伸びていた。工場再建と並行して販路開拓も進めた。評価が徐々に浸透し、3年ほど前からようやくフル生産に近い状態になった。

 平塚社長は「販路開拓が遅く、経営破綻した企業もある。再建しても販路がなければ意味がない」と強調する。

経営再建が本格化したヤマニシ。ドックでは海洋調査船の修理が進む=1日、石巻市
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