無念と歓喜。その日は相反する二つの感情に激しく揺さぶられた。
2012年6月22日。底引き網漁船「明神丸」の船主高橋通(65)=福島県相馬市=は相馬沖で、捕らえた魚のほぼ全てをスコップで海に帰した。売れる魚を捨てるのは初めてだった。
それでも気分は高まっていた。「ようやくまた魚が取れる」。469日ぶりの漁。今後の不安を押し込め、初の試験操業を終えた。
沖合底引き網漁の3代目。16歳で船に乗り、福島から千葉にかけての沖合でどれだけ時間を過ごしただろう。魚を取ることばかり考え、漁業に心血を注いだ。
11年3月11日、そんな日々は途絶える。東京電力福島第1原発事故により福島県沿岸の漁は全面自粛。程なく県沖の魚から基準超の放射能が検出された。
海のがれきを漁師仲間と拾い、津波で失った船の再建をいち早く模索した。「生かされた命。必ず立て直さなければならない」。先が見えない中、必死に前を向こうとした。
同年夏ごろ、地区の船頭が船着き場に集められ、相馬双葉漁協の元組合長で当時幹部だった佐藤弘行が話を切り出した。「大変だが、一歩進もう。『試験操業』という形で」
想像もつかない操業形態に賛同者は23人中8人だけ。「まだ船もなく、みんな生きるのに精いっぱい。漁業再開の道はあの時に始まった」と高橋は振り返る。
試験操業は安全が確認された魚種だけを少量水揚げし、市場評価を探る。漁法や魚種、海域などを協議する検討委員会が地区ごとに設置され、相馬双葉地区では佐藤が委員長、高橋は委員に就いた。
「安全をどう担保するんだ」「何かあったら誰が責任を取る」。仕事を失ったストレスなどから会合の度に怒号が飛び交う。合意形成に長時間を費やした。
試験操業はタコと貝の計3魚種で始まった。海域や水深をごく狭い範囲に限り、後に緩和する際も慎重の上に慎重を期した。
最大44魚種を対象とした国の出荷制限が全て解除されたのは20年2月。「9年間、手探りで進んでは戻っての繰り返し。やっとここまで来た」。捨てる方が多い漁を続け、たどり着いた節目だった。
現在は「試験」からの脱却を目指す。20年の水揚げは4532トンで、原発事故前の10年(2万5914トン)の17%にとどまる。県漁連は4月の本格操業再開を目標に準備を進めている。
一方、試験操業の先頭に立ってきた佐藤は17年、持病のため61歳で急逝した。
同級生の高橋は「ずっと同じ思いで歩んできた。遺志を継ぐ」と誓う。2年前に船を息子2人に預け、県機船底曳網(そこびきあみ)漁業組合連合会長として漁業振興に心を砕く。
「代々続く漁業を何とか次の世代につなぎたい。考えるべきことは山ほどある」。今後も続く風評被害との闘いを念頭に、こう決意を語る。「雨風にさらされたとしても、操業を本来の姿に戻す。その日が来るまで絶対に後戻りできない」
(敬称略)
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から2021年3月で10年。巨大津波で甚大な被害を受けた3県の中で、第1原発が立地する福島は復興の遅れが目立ち、住民は今なお風評との闘いを強いられている。被災者や当事者の記憶から複合被災地・福島の10年の足跡を振り返り、あるべき復興の姿を展望する。
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