第2部(5完)全基廃炉、県民の意思で採択

エネルギー政策に関する県議会の責任について語る佐藤=郡山市内

◎福島県議・佐藤憲保(66)=郡山市

 東京電力福島第1原発事故から約半年後の2011年10月。その後の福島県の原発との向き合い方を決定づける一つの請願が県議会に提出された。

 「福島第1原発と第2原発10基の廃炉を求める決議について」。事故を起こした第1原発1~4号機はもちろん、無事だった5、6号機と第2原発1~4号機も含む廃炉を訴えた。

 「この請願を採択しなかったら県民から総スカンを食う」。最大会派の自民党の会合で、当時議長だった県議佐藤憲保(66)が強い口調で迫った。共産党が紹介議員であることを理由に賛同を渋る一部の動きにくぎを刺す狙いだった。

 「それまでの原発に対する意識は3・11で全部吹っ飛んだ。自民は推進、共産は反対といった前提はすっかり取り払われていた」

 震災から約2カ月間、県自治会館に設置された災害対策本部に詰めた。がくぜんとしたのは、国からファクスで送られてきた緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)に関する県職員とのやりとりだ。

 「公表するしないの権限はどこに?」「国です」

 「国はどう判断している?」「判断していません」

 「では、公表できないのか?」「おそらくできません」

 結果として、放射性物質の広がりを示すSPEEDIが住民避難に活用されることはなかった。原発で事故は起きないという安全神話を信じた結果、あらゆる想定が穴だらけだった。

 県議会は長らく、国の原子力政策に追従する県当局を容認してきた。佐藤には、10年に第1原発3号機で実施された東北初のプルサーマルの受け入れ決定を巡る苦い記憶がある。

 受け入れの可否を検討する議員協議会に東電関係者を呼んだ時のこと。「津波対策は万全か」とただす共産議員に、東電が「被害想定はきちんとしている」と応じた。

 「忘れられないのは『それでは足りない』と抵抗する議員を私が制し、『いつまでも水掛け論を続けられない』と議論を打ち切ったことだ」

 プロ集団が言う安全対策が十分なら大丈夫-。国や東電の思い込みに自分自身も毒されていた。それから1年もたたずに「100%の安全はない」という厳しい現実を突き付けられる。

 請願は11年10月20日、退席者5人を除く全会一致で採択された。「県民の意思で請願が採択されたという県議会の考え方は、原発事故から10年がたとうとする今も変わっていない」

 「原子力災害の一刻も早い収束が何よりも重要」と全基廃炉に後ろ向きだった当時の知事佐藤雄平も、請願採択に背中を押されるように11年12月に「県内の全原発の廃炉を目指す」と表明。その後の東電の廃炉方針決定につながっていく。

 「原発を推進してきた人も反対してきた人も、大きな悔恨の念にかられた事故だった」と佐藤憲保。「首都東京の発展に貢献した福島が被災地になったという点で、多くのことを考えさせられる事故であり続けるだろう」と言う。
(敬称略)

 第2部は神田一道、関川洋平、玉應雅史、岩崎かおりが担当しました。

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