(5完)ADRを担当、住民の実態訴える

相馬市玉野地区のADRを担当した当時を振り返る平岡=富山県滑川市内

弁護士 平岡路子(38)=富山県滑川市

 「法律は知っている人の味方でしかない」との母の言葉で弁護士を志し、司法過疎地での勤務を希望した平岡路子(38)は2013年の福島県相馬市着任後、すぐに被災者の裁判外紛争解決手続き(ADR)を担当することになった。

 同市玉野地区の9割の139世帯419人が、国の原子力損害賠償紛争解決センターにADRを申し立てたのは14年10月。手続きが打ち切られるまで5年以上に及ぶ長い道のりの始まりだった。

 東京電力福島第1原発事故で自主的避難等対象区域となった玉野地区は市の最西端に位置する。南は一時全村避難した飯舘村、特定避難勧奨地点に一時指定された伊達市霊山町小国地区にも近い。

 空間放射線量が小国地区とほぼ変わらない地点もあった。原発事故前の日常が奪い去られた点も同じなのに地名で線引きされ、賠償額が大きく異なる。

 行政区長を通じて申し立てを望む住民の姿が、小学6年の時に神戸市内で阪神大震災に遭った自分とどこか重なった。

 岡山県に身を寄せ、転校先で級友らと被災経験を共有できず苦しんだ。「私がやるしかない」。ずっとふたをしてきた記憶が呼び覚まされた。

 当時は和解までに平均で約7カ月かかるとされ、小国地区でも和解が成立しようとしていた。玉野地区も2年もあれば解決するかと思われたが、大きく裏切られることになる。

 申し立てが相次いで立て込んでいたためか、センターの仲介委員が現地調査に消極的だった。調査の重要性を粘り強く説明し、2年後にようやく実現させた。

 福島市内であった口頭審理では15人の住民が、キノコ採りなどを楽しみながら助け合ったかつての暮らしを切々と訴えた。申し立てから4年後、センターはついに和解案を提示する。

 住民側は申し立てとセンターの認定事実との開きに不満はあったものの、大筋で合意した。東電は「和解案の尊重」など三つの誓いを掲げながら「玉野地区特有の事情ではない」などと和解案を退け、さらにセンターによる受け入れ勧告も拒否。センターは19年12月に手続きを打ち切った。

 さらに長期戦が見込まれる民事訴訟の選択を、弁護士として強く勧めることはできなかった。「住民はお金が欲しいのではない。ただ被害の実態を認めてもらいたかった」

 平岡は今、同業者である夫(40)の地元の富山県滑川市で「滑川ふたば法律事務所」の開所準備に奔走する。世話になった双葉郡を名前に入れようとずっと前から決めていた。開業は東日本大震災の命日の今月11日を予定する。

 「弁護士としても、自分自身としても、さらには相馬で生まれた長男(4)まで全部福島に育ててもらった。福島のためにできることをし続けたい」と誓う。
(敬称略)

第3部は玉應雅史、神田一道、加藤健太郎、斉藤隼人、吉田千夏が担当しました。

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原発事故と私

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生から2021年3月で10年。巨大津波で甚大な被害を受けた3県の中で、第1原発が立地する福島は復興の遅れが目立ち、住民は今なお風評との闘いを強いられている。被災者や当事者の記憶から複合被災地・福島の10年の足跡を振り返り、あるべき復興の姿を展望する。

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