<東日本大震災 復興人>若者集う古里模索 次世代担う先駆けに

JR女川駅の展望フロアから新市街地と海を望む辻山さん。お気に入りの景色になった=女川町

◎宮城県女川町出身 東京都狛江市の大学生 辻山憲太さん(21)

 東京都狛江市の大学2年辻山憲太さん(21)が、東日本大震災で被災した古里の宮城県女川町で活動する若者を増やそうと模索している。時と共に薄れていた「復興に貢献したい」という思いが、大人になって再燃した。新たなまちの基盤が整う中、次代を担う世代の火付け役になるつもりだ。
 女川で活躍する先駆者たちを動画投稿サイトなどで発信して、町内外の学生たちの価値観や人生の選択肢を広げる。町内でのインターンや起業、長期滞在などを通じて10代、20代の自己実現を支援する-。
 昨年12月、町内のNPO法人「アスヘノキボウ」が主催する創業本気プログラムの報告会で、こんな構想を披露した辻山さんが打ち明ける。
 「震災当時、同級生たちは復興に寄与したいと願いながら、子どもだったため関われなくて悩んでいた。今、まちづくりに関心がなくなっているのが悲しく、自分も情けなかった。何とかしないと」
 小学5年で震災に遭い、町内の自宅は津波で流失した。隣の石巻市に転居したが町内の小中学校に通った。あの日を共に経験した友人と一緒にいたかった。
 大人の不安を感じ取って明るく振る舞ってきたが、未来なんて想像できない。授業で「詩、短歌などで自由に表現して」と言われても、後ろ向きなことばかり浮かぶ。
 そんなとき、同級生の詩の一節が高台に掲げられた。「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ」。町民を鼓舞した言葉は、自分たちの世代全員が胸に秘めた思いでもあった。
 東松島市内の高校に進学した辻山さんは、大学で都内に転居した。意識が再び古里に向くようになったのは、昨年の成人式がきっかけだ。旧友たちの間で復興やまちの将来が語られないことに、はっとした。
 還暦以上は口出ししない-。商工会トップが掲げた方針で、ゼロからのまちづくりは30代、40代が原動力となった。「自分たちの生活だけでも精いっぱいなのに、まちのことも考えてすごい」。基盤作りの苦難を思い、尊敬の念を抱く。
 市街地は一変した。祖父母は仮設商店街の終了に合わせて、震災前から営んでいた靴店を閉じた。生まれてからずっとあった居場所がなくなったのは寂しい。
 それでも、イメージできなかった復興像が今は浮かぶ。「新しいスタートが世界一多く生まれる街」。自分もその1人になりたい。事業は「HAJIMARI」(はじまり)と名付けた。
 東京で学業を続けながらの挑戦は、仲間が必要だ。「一緒にやりたい」。早速、同級生から手が挙がった。
(報道部・坂井直人)

<描く未来図>まちの創造続ける

 10年、20年後を見据えたとき、震災当時小中学生だった世代が新しい女川を創造し続けられるようにしないと、女川の可能性の芽を摘んでしまう。若者が集う活気あるまちにするために、自分が最初に動き、みんながまちづくりに関わりやすい環境をつくりたい。

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