「震災10年 あしたを語る」東北大災害科学国際研究所長 今村文彦さん(59)「想定外」巡り自責の念強く

今村文彦さん
宮城県女川町の現地調査で、津波が到達した高さを計測する今村さん=2011年4月
2003年10月から続く防災番組で、地震や津波への備えに役立つ情報を伝え続ける=2020年2月、仙台市青葉区のエフエム仙台

 前例のない大災害に見舞われた時ほど、トップの判断が組織の命運を左右する。大地震、巨大津波、原発事故…。東日本大震災から間もなく10年。住民のため、地域のため、困難に立ち向かった6人のリーダーが複雑な胸中を語る。

 <東京・霞が関で東日本大震災の激震に遭った>
 気象庁の津波予測技術に関する勉強会が終わり、喫茶店で休憩中だった。揺れはいつまでも続き、どんどん強くなる。大規模地震として可能性が一番高かった東海地震だろうと思った。
 インターネットで調べると、震源は宮城県沖だった。驚いて海上保安庁のサイトで潮位データも確認した。岩手県沿岸で大きく低下している。第1波の引き波だ。ものすごい津波が来ると直感した。
 急いで内閣府に行ったが、なかなか情報が入ってこない。防災担当者とテレビを見続けていると、仙台平野に押し寄せる津波の空撮映像が流れた。よく知っている場所や建物、道路を走る車がのみ込まれていく…。大きな衝撃を受けた。

 <文部科学省で開かれた臨時の地震調査委員会に出席し、ホテルに移ったのは日付が変わった後だった>
 ほとんど寝られなかった。ネットで地震や津波の情報を集めながら、早く現場を確認したい、これから自分は何をするべきなのだろうとばかり考えていた。12日、タクシーを乗り継いで仙台市に戻った。
 13日午前、テレビ局のヘリ取材に同行した。沿岸部は膨大な量のがれきや漂流物に埋め尽くされ、火災後の黒煙も上がっている。こんなことが本当に起きてしまったのか。息をのんだ。コメントを求められても言葉が出てこなかった。
 <すぐに現地調査を始め、仙台市若林区の荒浜地区に入った>
 震災前、津波対策に携わった地域の一つだ。見覚えのある町並みは消え、住宅の基礎しか残っていない。津波の威力を目の当たりにした。構造物の根元が掘られる洗掘(せんくつ)という現象もすごかった。
 客観的に調査できる外国の被災地とは違い、訓練や講演に協力してくれた住民の顔が浮かぶ。中には亡くなった人だっている。各家庭が大切にしてきた写真や家具が散乱しているのもつらかった。

 <津波は各地で宮城県沖地震のハザードマップの浸水想定域を超え、犠牲を拡大させた。『想定外』を巡り、地震や津波の研究者を批判する声も上がった>
 調査で住民と話すのは非常に緊張した。マップの作製に協力した東松島市や気仙沼市でも想定にとらわれて避難が遅れたり、指定の避難場所が流されたりしたケースがあったからだ。罵声を浴びてもおかしくない。怖さすら覚えた。
 自分にとって一番厳しかったのは、東松島市野蒜地区の女性との会話だ。マップでは安全なはずの自宅2階に残るよう高校3年の娘さんに伝え、避難の呼び掛けに回ったという。そして家ごと流されてしまった。娘さんは私の娘と同い年。ただただ、うなずいて聞いているしかなかった。
 もちろん、津波がマップを上回る可能性は注意事項として記していた。だが、もっと強調するべきだった。想定はシナリオの一つであることを十分に伝え切れていなかった。亡くなった皆さんに申し訳ない。すごく反省し、自分を責めた。

反省点生かし復興助言

 <震災の津波は、869年の貞観地震津波の姿と重なった。現在の多賀城市で1000人が溺死したと古文書に残る。津波で運ばれた砂などの堆積物が、仙台平野の広い範囲で見つかっていた>
 2004年には震災と同規模のマグニチュード(M)9・1のスマトラ沖地震があり、津波によりインドネシアを中心にインド洋沿岸諸国で22万人以上が犠牲になった。このレベルの巨大津波が東北でも起きる可能性は意識していた。
 ただ震災の被害は、規模も質も想像をはるかに超えていた。船や車、住宅の残骸といった大量の漂流物が建物を破壊し、火災まで起きた。東京電力福島第1原発事故の引き金にもなった。
 海底のヘドロなどを巻き上げた「黒い津波」も新たな脅威として浮かび上がった。津波の密度と粘性が上がり、破壊力が増す。乾燥した後で吸い込むと健康被害が生じる。たとえ津波の大きさは貞観と同じでも、都市化により被害は連鎖的に広がり、複雑になったことが最大の特徴だ。
 皮肉なのは、10年2月のチリ大地震津波と震災2日前の前震。大津波警報や津波注意報が出たが、大きな被害がなく震災当日の避難行動を鈍らせる要因となった。震災の大津波警報では、予想される津波の高さの第1報が実際より低かったことも重なった。

 <一方、避難訓練などの備えが命を守ったケースも少なくなかった>
 仙台市若林区では、仙台東部道路に300人以上が駆け上がって助かった。震災前年の10月、津波の緊急避難場所として東部道路の活用を考えるシンポジウムが地元であり、貞観の津波の堆積物の説明もしたことが生きたと思う。各地の津波避難ビルも有効だった。
 現地調査や住民への聴き取り、津波の解析を進める中で震災前の対策の良かった点、悪かった点が見えてきた。不十分だった部分を改め、さらに取り組んでいくしかない。徐々にそう考えられるようになった。
 <震災を教訓とした防災対策を検討する省庁の委員会、県や市町村の復興会議が続々と設置され、多くの名簿に名を連ねた>
 専門家として知見を伝え、反省点を改善しなくてはいけない。自分にとっても何が課題かを整理できる。さらに復興計画をつくること自体が、防災を一歩も二歩も前に進め、住民の安全性を高める機会となる。時間と体力の許す限り、引き受けると決めた。
 整備されていた津波観測網から、さまざまなデータを得られたのは大きかった。今回の検証と今後の想定に欠かせない。仙台市などの復興計画づくりでは、データに基づく津波シミュレーションから多数のシナリオを検討し、防潮堤やかさ上げ道路による低減効果を反映させることができた。

 <津波研究の原点は1983年5月の日本海中部地震(M7・7)。犠牲者104人のうち100人が津波で亡くなった。津波による犠牲者を減らす-。その誓いが、震災後の今も自身を支えている>
 当時は大学4年で、卒論のテーマは火力発電所の温排水の拡散だった。現地調査に入ると住宅や港が壊れ、行方不明者の家族が捜索を続けている。漂う緊張感、そして強烈な悪臭。海のない山梨県生まれの私は、言葉でしか知らなかった津波の悲惨さを実感した。
 気象庁による大津波警報の発表が遅かったことが人的被害を大きくした。より早く、正確に出せれば地震の発生後でも命を救うことができる。大学院に進み、津波予測の速度と精度を上げるための研究に打ち込んだ。

防災の「実践」 重み増す

 <2012年4月、東北大災害科学国際研究所が発足。副所長に就いた。東北大としては約70年ぶりの研究所新設だった>
 震災は広域的、複合的な巨大災害であり、地震や津波など原因を調べるだけでは限界がある。「災害科学」という新しい学問を掲げ、文理の垣根を越えて研究者が被災地に入り、現象を複眼的に見る。複雑な被害の予測・評価から復興のプロセスまでを一連の災害対応サイクルと捉え、世界最先端の研究を進めるとともに成果を国内外に発信していかなければいけない。
 津波工学と歴史学、地質学が力を合わせ、貞観地震津波や慶長三陸津波(1611年)など過去にあった低頻度の巨大津波の姿を解明できたことは一つの成果だ。被災者の心身の健康を考えると、医学との連携も重要。地域に役立つ実践的防災学も確立していく。
 <『想定外』とされた震災後、国は地震や津波の最大想定を提示するようになった。20年4月、日本海溝・千島海溝で想定される最悪級の津波を公表。被災地の一部では、復興した街も浸水するとされた>
 専門家は科学的な知見に基づき、対策を検討するべき地震や津波について複数のシナリオを出す。後は社会がどう受け止めるかだが、震災を経験した今は「あの被害を繰り返したくない」との思いが共有され、「最大」が意識される。
 ただ社会全体で最大想定と向き合うのは大事だが、まずは足元を固めてほしい。より頻度の高い地震、津波への対策を取った上でレベルアップしていく。宮城県は、平均約38年の間隔で繰り返される宮城県沖地震への備えを再確認しなくてはいけない。震災を踏まえた災害の複合化、さらには新型コロナウイルス感染拡大の影響も考慮する必要がある。

 <あの日から間もなく10年を迎える>
 私は自分のことを津波を研究する科学者であり、地域防災に関わる実践者だと考えてきた。震災では、この二つを両立する大切さを改めて認識した。研究成果をどう社会に生かすか。個人に防災や避難の重要性を伝え、行動を促すために何ができるか。実践の重みと広がりが格段に増した。
 震災当時のことを忘れたいとは思わない。ふとした瞬間に記憶が戻り、複雑というか残念というか、そんな気持ちになる。それでも所長の任期を終えたらもう一度、津波に特化して地域と向き合いたい。復興した沿岸部の現場を確かめながら避難訓練などの対策に取り組む。私自身、もっと学んでいきたいと思う。
(聞き手は東野滋)

[いまむら・ふみひこ]1961年、山梨県生まれ。東北大大学院工学研究科博士課程修了。工学研究科教授、同大災害制御研究センター長を経て、2012年4月の災害科学国際研究所発足に伴い副所長。14年4月から現職。専門は津波工学。89年、震源の位置や規模から津波の高さや到達時間を即時予測するシミュレーション技術を開発。数値計算の核となる基本式「今村項」は世界基準となった。

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