「原発漂流」第5部 現と幻(1) 反転/脱炭素 再稼働へ追い風

脱原発を訴え、首相官邸前で行われた抗議活動。かつての熱気は失われつつある=2013年6月

 野心的な目標に支持率回復への祈りがにじんだ。

 「世界に先駆けて脱炭素社会を実現していく」

 1月18日、菅義偉首相は通常国会冒頭の施政方針演説で、2050年までに二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出量と吸収量の差をゼロにすると宣言した。世界的な潮流「カーボンニュートラル」は、守勢に立つ政権の浮沈を握る。

 昨年10月、首相就任後初の所信表明演説で初めて目標を掲げ、各方面に衝撃を与えた。排出量が多い鉄鋼や自動車などの業界から悲鳴が上がる中、いち早く歓迎のコメントを出したのは原子力推進の関係者らだ。

 「脱炭素化には排出削減だけでなく供給安定性と経済性の視点が重要。原子力は全てに貢献できる」。原発メーカーや立地自治体などで作る日本原子力産業協会の新井史朗理事長は、原発の再稼働や新増設の必要性を強調。電気事業連合会の池辺和弘会長(九州電力社長)も「目標実現には原発の最大限の活用が必要だ」とアピールした。

 脱原発から脱炭素へ。東京電力福島第1原発事故から3月で丸10年となるのを前に、原発推進側は反転攻勢の好機をつかんだ。脱炭素や温暖化対策をてこに原発が失地を回復したことは過去にもある。

 1995年12月に旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)のナトリウム漏れ事故、97年3月11日には同じ旧動燃の東海再処理工場(茨城県)の火災爆発事故が起き、官民の推進側は意気消沈した。

 転機は同年12月に京都市で開かれた温暖化防止京都会議。政府は原発の20基増設などで2010年までにCO2排出量を90年比で6%削減すると公約し、原発推進は息を吹き返した。

 2000年代に入り「原子力ルネサンス」と呼ばれた原発重視の風潮が強まる中で福島の事故が起きた。状況は一変し、原子力政策は根底から覆る寸前まで行った。

 「大変なことになっている」。12年9月6日、青森県六ケ所村議会の橋本猛一議長(当時)に電話が入った。電話の主は、村で核燃料サイクル施設を運営する日本原燃の川井吉彦社長(同)。当時与党の民主党エネルギー・環境調査会が同日、「30年代に原発稼働をゼロにする」「使用済み核燃料の全量再処理方式を全面的に見直す」と政府に提言したことを知らせる連絡だった。

 村議会は翌日、見直しが実施されれば、使用済み燃料や高レベル放射性廃棄物の村内への受け入れを拒否する意見書を緊急に可決した。慌てた政府は1週間後に決めたエネルギー戦略で再処理の継続を掲げ、「30年代原発ゼロ」の閣議決定も見送った。

 福島の事故後も原子力が命脈を保てたのは、原発政策の要、核燃料サイクルの生殺与奪を握る青森県の「功績」とも言える。

 民主党政権の国家戦略室企画調整官としてエネルギー戦略策定に関わった元経済産業省官僚の伊原智人氏は「あの時(戦略策定時)が原子力政策のもつれた糸をほどく最後のチャンスだった」と悔やんだ。

 未曽有の原発事故から丸10年の節目を、私たちは原発復権の兆しもある中で迎えようとしている。一方で原発利用の先にある核燃料サイクルは、この10年で行き詰まりの度を深めた。つじつまの合わない原子力政策はどこに向かうのか。サイクルの現実と幻影を追う。
(「原発漂流」取材班)

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 史上最悪級の原発事故の発生から2021年3月で丸10年。原子力事業や原発政策の何が変わり、何が変わらないのか。教訓は生かされているのか。改めて検証する。


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