片倉信光(かたくら・のぶみつ)さん―郷土研究家・片倉家15代目(白石市)―「紙布織」の再興に尽力

片倉家に幕末か明治初期の作と伝わる「白石城旗験(はたじるし)屏風(びょうぶ)」と「紙布織」の着物
「紙布織」や「紙糸」を手にする片倉信光
白石和紙を生かした多様な作品や貴重な資料を紹介する寿丸屋敷の常設展

 白石で片倉といえば、仙台藩祖伊達政宗の忠臣、小十郎景綱。片倉信光(1909~85)は、白石城主片倉家の15代目に当たる。
 かつての領地だった白石・刈田地方の考古学、郷土史研究の先駆者として知られる。北海道で生まれ、生後まもなく白石へ。旧制白石中から国学院大に進み、考古学に没頭した。卒業後、東京の有栖川宮記念公園内にあった「東京郷土資料陳列館」の初代学芸員となり、1938年に仙台市の斎藤報恩会博物館に移った。戦時中、貴重な文献資料を守ろうと少しずつ白石に疎開させ、仙台空襲による被害から免れた逸話も残る。
 41年には当時としては全国的にも珍しい面的な発掘調査を行い、鷹巣古墳群(白石市)の全容を解明した。白石市教委生涯学習課課長補佐(学芸員)の日下和寿さん(51)は「地域の調査研究のパイオニアで、残された資料から郷土への熱意をひしひしと感じる」と話す。
 紙すき職人の遠藤忠雄さん、呉服屋だった佐藤忠太郎さん(いずれも故人)らと40年に「奥州白石郷土工芸研究所」を創設し、所長に就いた。江戸時代には仙台藩の献上品になるほどの名産品だったが、明治時代に入って洋紙の普及で廃れた白石和紙と、和紙を糸にして紡ぐ「紙布織(しふおり)」の再興にも力を注いだ。
 長男で政宗を祭神とする青葉神社(仙台市青葉区)宮司の片倉重信さん(80)の記憶にある父は、肺を患った影響でほとんど外出することなく、離れの部屋で床に伏していた。
 「寝床はたくさんの資料に囲まれていた。いろいろな人が訪ねてきて郷土史や土器片などの話をしていった。父の功績は大人になってから教えてもらった」
 信光が息を引き取った85年は政宗の没後350年祭。命日は政宗と景綱を祭る神明社(白石市)のみこし渡御がある5月3日。青葉神社の宮司だったが病身で勤められず、代務者を置いていたという。
 「政宗公をお祭りする務めを果たせないことが申し訳ないとよく聞かされていた。最期は政宗公にお供したのではないか」と、重信さんは受け止める。
 郷土工芸研究所で紙すきを担った遠藤さんの白石和紙工房が2015年春に閉じてからは、市民有志のグループ「蔵富人(くらふと)」が受け継ぎ、原料栽培から製法までを手掛けている。
 「白石和紙の歴史がつながったのは貴重な資料を掘り起こし、詳細な記録を残してくれたおかげ。研究所の皆さんの気概に心服する」と代表の阿部桂治さん(52)。白石の伝統文化継承に懸けた先達の思いを紡ぐ。
(白石支局・村上俊)

[メモ]片倉信光が暮らした白石市南町の日本家屋では2018年、岩井俊二監督(仙台市出身)の映画「ラストレター」のヒロイン遠野未咲の実家として撮影が行われた。翌年の台風19号豪雨で土砂崩れに遭い、今はない。映画に登場する文机や白石和紙関連の資料は同市中町の寿丸屋敷で展示中。火曜定休。

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みやぎ 先人の足跡

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