震災関連死 認定者の半数、転居5回以上 福島・楢葉

河北新報社が情報公開請求で入手した楢葉町の資料。亡くなるまでの経緯が詳しく記録されている

 東京電力福島第1原発事故で避難区域になった福島県双葉郡8町村のうち、開示資料に死亡時期が明記されていた楢葉町では、関連死に認定された人の半数が、亡くなるまで5回以上転居していたことが分かった。震災から半年以降に亡くなった人は7割に上り、安定しない生活と避難生活の長期化が大きな負担となっていた実態が読み取れる。
(震災関連死取材班)

 開示資料や町への取材によると、1月末現在、関連死と認定されたのは計140人。入院中に被災し、その後病院で亡くなった1人を除き、139人が避難を余儀なくされた。
 一時的な入院を除き、平均約5回転居し、半数の73人は5回以上転居していた。最も多かったのは13回だった。4年8カ月後の2015年11月まで転居を強いられた人もいた。
 新潟県中越地震(04年)で設けられた「長岡基準」は、関連死と推定される期限を震災発生から半年間とした。だが、町では、関連死と認められた約7割に当たる94人が半年以降に死亡していた。
 関連死に認定された年代は80代が76人と最多。70代が28人、90代が27人、60代が7人、50代が2人。70代以上が全体の9割以上を占め、災害弱者の高齢者に大きな影響があった。
 7割以上の102人が原発事故前から高血圧や糖尿病などの持病を抱えていた。自殺と推察される事例も3件あり、避難生活が身体だけでなく精神的にも深刻なダメージを与えたことがうかがえた。

長引く避難、気力と体力奪う

 「原発事故がなければ、こんな避難もしなくてよかった」。河北新報社が入手した福島県楢葉町の資料には、長期にわたる避難生活で被災者が気力と体力を奪われていく様子が克明に記されていた。
 肺炎で2016年5月に亡くなった女性=当時(91)=は原発事故後、12回も転居した。町内の自宅で東日本大震災の地震に遭い、駆け付けた長男と一緒に同県富岡町に避難。翌12日早朝、避難指示が出され、同県川内村へ。原発事故の状況が深刻になり、14日には自宅から約90キロ離れた二本松市の避難所に移った。
 埼玉、千葉両県の親族宅を経て、福島市に引っ越した長男宅に約1年間身を寄せた。その間、市内の介護施設に約1カ月入った。落ち着いた生活は長く続かず、長男の仕事の関係でいわき市の高齢者住宅へ移り、本人の介護の都合から再び福島市の高齢者住宅に転居した。
 女性の遺族が記載した死亡経緯書には「5年3カ月弱の避難生活に疲れ切ってしまった。口癖のように『楢葉に帰りたい』と言っていた」などの記述があり、無念さがにじむ。
 避難生活の長期化は精神的にも大きな負担を与えた。いわき市で13年12月に亡くなった男性=同(84)=の死因は自殺と推測される。栃木や東京、新潟の親戚宅など9回の転居を繰り返していた。
 避難中に妻に先立たれ、楢葉の自宅に戻れないストレスも重なったという。遺族は避難生活の様子に関して「度重なる環境の変化への不安から眠れなくなっていた」と記す。
 避難者の診察を続ける双葉郡医師会の堀川章仁会長(72)は「避難者は以前の生活に戻りたいという諦め切れない思いを抱えている。新居に移り住んでも『住めば都』にはならない」と指摘する。

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