なりわい(2)遠藤伸太郎さん 宮城の食発信、協業結実

「食のみやぎ応援団SDGs宣言」であいさつする遠藤さん=1月29日、仙台市太白区の秋保ワイナリー

 故郷から逃げた負い目が心のどこかにある。せめて食を通じて古里に貢献したい-。走り続けた10年間、築いた企業間連携が今、新しい潮流を生んでいる。

 1月下旬、宮城県内の食品製造23社が仙台市内に集まり、国連が提唱する持続可能な開発目標(SDGs)の実現を目指す「食のみやぎ応援団SDGs宣言」を表明した。東日本大震災の復興支援への恩返しを形にしようと、食品ロスの削減や雇用改善に向けた行動をうたう。

 「被災地宮城から、地元企業が一つになって持続可能な社会を目指す」。発起人で仙台市の食品卸「かね久」の遠藤伸太郎社長(49)は宣言文を読み上げながら、10年前の光景を思い出していた。

 震災発生当日、勤め先の仙台にいた。自宅がある石巻市に着いたのは翌日夕。車を止めた高台から、古里の渡波地区を一望した。黒い水が街をのみ込み、海沿いの学校が浮かんで見えた。「みんな生きてっかや」。胸まで水に漬かりながら、家族を捜し歩いた。

 妻と小中学生だった娘3人は無事だったが、近くに住むおいとめい3人が亡くなった。津波への恐怖と不安を抱く家族と仙台に避難し、その後移住を決めた。

 罪悪感が残り、石巻の避難所を炊き出しで回った。何が食べたいんだろう。約100人からアンケートを取ると、牛タンやカキが多かった。「避難所で一番の楽しみは食だった。宮城の食が力になる」と痛感した。

 2014年、パン粉製造「金久商店」から事業譲渡を受け多賀城市で「かね久」を設立。地域商社部門も設け、加工業者の間を奔走した。

 震災後に6次産業化が加速する中、問屋自体の存在意義が問われ、同業者の廃業が相次いだ。かね久も3期目で赤字に転落。「娘たちに頑張っている背中を見せたい」と踏ん張った。

 商品を右から左に流す従来の卸ではなく、「川上から川下までのトータルコーディネートが重要だ」と遠藤さん。消費者のニーズを捉え、他社と新商品を開発する。各社の得意分野と生産量を把握し、連携を促す。通信販売大手と交渉し、流通ルートを増やした。

 石巻産の大粒カキフライは全国チェーンの飲食店に50万個卸し、金華サバのふりかけは新幹線の最上位席グランクラスで提供された。牛タンローストは高級料亭のオンラインショップの人気商品になった。連携の成果を積み重ね、今期の地域商社部門の売上高は前年の3倍を見込む。

 かね久は20年11月、仙台市若林区卸町2丁目に本社を移した。商品撮影用のキッチンスタジオを設け、取引先と会員制交流サイト(SNS)で紹介する。遠藤さんは「新型コロナウイルス禍の中、大きな挑戦。宮城の食の発信基地にする」と意気込む。

 社長室の真新しい机の引き出しには、10年前に避難所で集めたアンケート用紙が大事にしまってある。

 「あん時を思い出すんだよな。なんか力が出っからさ」

 人懐っこい「石巻弁」は今も変わらない。
(古賀佑美)

避難所で配ったアンケートの回答用紙。牛タンやカキの要望が多く寄せられた
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