あの日、防災庁舎で(2)10m以上の大津波警報。川を水が遡上「全員、屋上さ上がれ!」

津波が押し寄せ、防災庁舎の屋上に避難する町職員ら=2011年3月11日午後3時29分、宮城県南三陸町(写真展示館「南三陸の記憶」提供)

 <10メートル以上の津波>
 宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階の災害対策本部。危機管理課の佐藤智さん(66)が、放送室で避難を呼び掛ける同課の三浦毅課長補佐=当時(51)=と、遠藤未希さん=同(24)=に急いでメモを渡した。
 震度6弱の地震から28分後の午後3時14分。気象庁が大津波警報の予想高を「6メートル」から「10メートル以上」に引き上げた。

 「10メートルだって? 想像がつかない」。遠藤健治副町長(72)は絶句した。災対本部は職員らでごった返していたが、職員たちは淡々と業務に当たっていた。「もう上がれ。用のない者は上がれ」。高さ約12メートルの屋上への避難を指示し、多くの職員が外階段へ向かった。
 津波の襲来に災対本部が気付いたのは「10メートル以上」に切り替わる少し前。既に6メートルの津波到達予想時刻の午後3時を回っていた。
 「海に白波が立って津波が見える」「引き波を確認」
 南三陸消防署の小野寺庄一郎副署長=同(57)=の無線に次々と連絡が入る。全国瞬時警報システム(Jアラート)は機能したが、テレビは映らなかった。インターネットも不通で、電話は報道機関の問い合わせが殺到。現場からの無線情報とラジオが情報源だった。10メートル以上の津波予想を知らない職員も複数いた。
 遅くとも午後3時10分ごろまでに、消防団と町職員が全ての水門と陸門を閉めた。「水門閉鎖完了」。報告を受けた職員が室内の電光表示盤のスイッチを押し、全て「閉鎖」を意味する赤ランプが点灯した。
 佐藤仁町長(69)は「10メートル以上」の情報を耳にしていなかった。窓際に向かい、八幡川の水位に異変がないか警戒した。「とにかく連続して町民に避難を呼び掛けてけろ」。地震直後から繰り返し放送室の2人に声を掛けた。
 午後3時15分すぎ、災対本部のラジオは岩手沿岸への津波到達を伝えていた。しばらくして歌津地区の田束山(たつがねさん)(512メートル)にいた産業振興課の牧野典孝さん=同(46)=と遠藤進也さん=同(39)=が役場に戻り「津波が来ていて防潮堤を超えそうだ」と報告した。
 「(海岸が)すごいことになっているから、上がってございっ」

 屋上から企画課の高橋文禎さん=同(43)=が叫ぶ声がした。外にいた同課の及川明課長補佐(58)と同僚の加藤信男さん(48)が気付き、急いで外階段を上った。加藤さんは記録のため、一眼レフカメラで川や庁舎内外を撮影していた。
 防災庁舎の前の駐車場に水があふれてきた。複数の証言や津波の撮影時刻に照らし合わせると、八幡川に水が遡上(そじょう)し始めたのは午後3時25分すぎ。色めき立った町幹部が口々に叫んだ。
 「全員、屋上さ上がれ!」
 2階には、まだ遠藤副町長ら6、7人がいた。「茶色く濁った水が新幹線のような速さで川の縁をさかのぼってきた」。佐藤徳憲総務課長(70)は今も鮮明に覚えている。
 緊迫の度を増す放送室。「未希ちゃん、もういいから」。危機管理課の佐藤さんらが放送室に駆け込み制止した。
 「高台へ避難してください。ただいま宮城県内に10メートル以上の津波が…」。未希さんの声に「上へ上がって!上へ!」という幹部の切羽詰まった声が重なった。
 上司の三浦さんは「未希ちゃん上へ上がれ! 私が放送すっから」と促し、マイクに向かったとされる。
 午後3時25~28分ごろ、突然、放送が途切れた。マイクのスイッチを入れたまま、全員が急いで屋上に駆け上がった。遠藤副町長らが最後に上がると、防災庁舎は海に囲まれていた。
(肩書きは当時)

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