<まちかどエッセー・菅井理恵>未来を照らす

菅井理恵[すがい・りえ]さん フリーライター。1979年喜多方市生まれ。テレビ局の記者を経て、写真家・宍戸清孝氏に師事。写真集・写真展の構成などに携わるほか、情報誌や経済誌などで人物ノンフィクションやエッセーなどを執筆。情報誌「りらく」では「東北における戦争」をテーマに「蒼空の月」を連載している。仙台市青葉区在住。

 ここ数年、歴史に命を感じるようになった。仙台空襲、シベリア抑留、戦中・戦後の生活…。当事者たちに語ってもらった人生は、どれも生きた歴史の教科書だった。

 4年前、東北の戦争をテーマにした連載記事を書くために取材を始めた頃、「仙台の戦災・復興と平和を語り継ぐ会」の方々に、随分お世話になった。当時の事務局長に会の歴史を教えてもらったことがある。

 前身は昭和47(1972)年7月10日に発足した「市民の手で作る戦災の記録」の会。市民100人余りが発起人となり、その代表には東北大学長や仙台市長らが名を連ねた。

 この日の河北新報をたどると、会の発足と共に、戦没者・戦災死者の合同慰霊祭の記事が載っていた。会場に集まった遺族は1200人以上。その翌年、体験記録集『仙台空襲』が出版された。

 発刊の言葉を寄せたのは、50歳で戦争を経験した仙台市公民館長。

 「戦争には『前線』も『銃後』もない悲惨なことを、我々の子孫にとこしえに伝え、二度とふたたび繰り返さぬことにある」

 熱を帯びた言葉は、胸に十字架を抱いたまま生きる、市井の人を感じさせた。この時、戦後28年。戦争はまだ「リアル」だった。

 その22年後の戦後50年。2冊目の体験記録集が出版された。今度は本人の体験記に加え、小中学生による『おじいちゃん・おばあちゃんから聞いた話』が加わった。

 戦後76年となる今、「仙台の戦災・復興と平和を語り継ぐ会」のメンバーは12人しかいない。連載当初、事務局長と未来の話をしたことがある。5年後を心配する私に、彼は「3年後も分からないよ」と言った。

 会の拠点である仙台市戦災復興記念館は、今年7月から1年余り、大規模改修に伴い休館となる。高齢のため、体調が万全ではないメンバーも多い。「年齢を考えると、学校まで足を運んでもらうことは難しい」と市の担当者。子どもたちの反応を見ていると、そもそも戦争や空襲から教える必要性を感じるという。

 「過去に眼を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と語ったのは、旧西ドイツのワイツゼッカー大統領。一人一人の過去は今に通じ、未来を照らす灯(あか)りとなる。
(フリーライター)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。


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