度重なる災害で、未曽有の危機に陥った仙台藩。仙台城下、大町1丁目の呉服商佐藤助五郎は1836(天保7)年、仙台藩の勘定奉行に登用される。矢継ぎ早に救済策を打ち出し「お助け様」と呼ばれた。
各藩は財政難から富裕者に金を出させる代わりに特権を与え、ある程度身分は流動化していた。仙台藩士別所万右衛門の「天保凶歳日記」には「よそより買い米の差配をするゆえだと申すことだ」と登用の背景を記している。
佐藤が就任直後に手掛けたのは、北目町での芝居興行の許可。城下では6カ所でしか許可されていなかった。仙台藩領だった一関市藤沢町の商家に伝わる「丸吉皆川家日誌」から引く。
「芝居も御祭礼もなく、茶屋や芸人どもが不景気で立ち続きかねる」「特別の御吟味で御免(許可)になったと聞く」
現代でも実施される裾野の広い経済対策は成功したようだ。「茶屋も20軒あまりで賑々(にぎにぎ)しい」「北目町の御免芝居は大当たり」
経済人の立場を生かし、町人の雇用創出、所得向上に力を入れる。
「渡世(仕事)のない者に、豆腐、串肴(めざしなどの水産加工品)、くしなどをさせ、小銭を取らせる」
商品は佐藤が買い取り、自分の店で販売した。
困窮者に与えるため、松の樹皮に米粉を混ぜてつく「松皮餅」の製造を推奨。仙台城下の各町に1軒、製造所を建てさせた。味の評価も記されている。
「ずいぶんと食べやすい。しかし、きなこ砂糖をまぶさないと、少し『やにの味』がある」
領内の米が不足し、仙台藩は他領米を調達した。城下の商人は資金拠出を命じられる。しかし、さらに資金が必要となる。富くじ方式で資金を集めようとしたのが「万人講」だ。
富裕者を中心に1口10両(現在の価値で約160万円)、約2500人を募り、うち1万両を救済資金として藩に献金させようとした。
現代で言う富の再配分。背景に「富が等しく配分されていれば、貧しい者はいない」という古代中国の思想があったらしい。
万人講は目標額の半分にも達せず、規模を大幅に縮小したが、榴岡の釈迦堂であった当せん者の発表は、富の再配分を庶民に印象づけるセレモニーになった。
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