「震災10年 あしたを語る」大川小遺族 佐藤敏郎さん 命を守る教育 平時に徹底を

 苦悩や悲嘆に満ちた東日本大震災からの10年。たくさんの経験と思索を重ねた今、歳月にどんな意味を見いだせるのだろう。それぞれの立場で被災地とともに歩み、現在に至る道のりを見つめ続けた6人が語る。

 <東日本大震災の津波により児童74人、教職員10人が犠牲になった石巻市大川小で、6年の次女みずほさん=当時(12)=を亡くした>
 震災発生から2晩、当時勤めていた宮城県女川町の女川中に泊まり込みで災害対応に当たっていた。目の前で起きていることに手いっぱいで、家族のことは頭になかった。
 2日後の3月13日午前、突然学校に来た妻から「みずほが津波の犠牲になった」と告げられた。その時、言葉の意味が全く理解できず、泣くこともできなかった。
 あれから10年たつが、「娘を失った」という実感はあまりない。言葉で表現するのは難しいが、いつも支えになってくれているような気がする。迷ったときは「娘だったらどうするだろうか」と想像して判断基準の一つにしている。
 大川小の校舎で語り部をしていると、一緒に案内している気持ちになる。
 <大川伝承の会は2016年から大川小校舎で語り部ガイドをしている。昨年は新型コロナウイルス禍で、キャンセルが相次いだ>
 伝承の会は19年に約1万4000人を現地で案内した。昨年は4~6月の間、ガイドを中止したにもかかわらず、約7000人が参加した。オンラインで案内した人を加えると、人数は例年とそれほど変わらない。
 オンラインガイドの導入で、語り部をする対象の裾野が広がった。仕事や子育てなどで、大川小に来られない人に対しても思いを伝えられる。
 画面上で子どもたちの避難ルートを表示できたり、小型無人機ドローンで撮った動画を差し込んだりすることもできる。現地ガイドではできない説明が可能になった。
 もちろん現地でなければ感じられないことも多いはずだ。コロナ禍が収束しても、オンラインと組み合わせることで、より効果的なガイドが展開できると自信になった。
 <大川小津波訴訟の判決確定から1年が過ぎた昨年11月、宮城県教委が大川小で初めて新任校長の防災研修を実施した>
 判決が確定したり現地研修が実施されたりしても、遺族の気持ちに区切りが付くことにはならない。
 私は訴訟の原告には加わらなかったが、確定判決ではっきりしたことは事前防災の大切さだ。平時の今、次の災害に備えてどれだけ防災の種をまけるかにかかっている。
 今年に入り、県内の学校から防災教育に関する相談や問い合わせが増えた。震災から10年が経過し、直接震災を体験した教師が減り、津波の痕跡も見られなくなった。教育現場では震災遺構や伝承活動を活用する必要性を感じているようだ。
 シンプルで丁寧な言葉で説明しないと聞く人の心に響かない。命を守る教育を実践するため、その言葉を紡ぎ出すことがこれからの課題だ。
(聞き手は宮崎伸一)

[さとう・としろう]1963年、石巻市生まれ。宮城教育大卒。国語教諭として28年間、宮城県内の中学校に勤務。2015年3月に退職後、大川小での語り部やラジオDJ、講演などを通して防災教育や子どもの居場所作りの重要性を発信している。児童遺族らでつくる「大川伝承の会」共同代表。

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